別アングルからの岩と淵。なんとこの淵には竜宮伝説があるらしいのです。
以下は明治11、12年ごろに編纂された南高麗地誌の記載です。
(『南高麗郷土史 資料集・一 地誌・村誌』(平成9.11.1)で復刻されたものを参照)
淵
竜宮淵ト称ス村ノ西ノ方字前箇貫岩井堂ノ巖下ニテ成木川ノ上流ニアリ
深底測ルヘカラス
土人ノロ碑二昔時享和年間村民築地武助ト云ルモノアリ
頗ル水練二達ス人呼水虎ト字スス
一時水底ヲ測量セント欲シ水中二投シ之ヲ窺フニ東方二一ツノ洞穴アリ
其奥ヲ量ラント深底水極メテ寒冷ニシテ耐ヘカラスト云リ
三間余リノ竹竿ヲ以テ探窺フト云トモ極ル所ヲ知ラス
土人附会シテ洞穴竜宮界二通スト称シテ之力名称トセリ
(意訳)
竜宮淵というものがある。場所は、村の西方の小字前ヶ貫の、岩井堂の岩の下で、上流側になる。底が深くて測ることができない。
土地の者の言い伝えでは、享和年間(1801〜1803年)に築地武助という村人が居て、
水泳が大変上手で水虎と呼ばれるほどであった。
あるとき底を測ろうとして水中に潜って見ると、東のほうにひとつの洞窟があった。
奥行きがどのくらいあるのか調べようとしたが、水が非常に冷たくて耐えられないほどである。
5〜6メートルほどの竹竿を持ってきて探って見るも、奥までは届かない。
土地の者は、この洞窟は竜宮界に通じていると考え、竜宮淵と呼んだ。
ひょっとしたら竜宮淵はここではなくもう少し上流側の別のどこかかもしれませんが、 本当に洞窟があるかどうかはともかく、竜宮伝説が語られるというのはなかなか意味深なのではないかと思うのです。