写真では端折りましたが、だいぶ苦労して先へ進むと、平地と山の境界辺り・・・山側に少し入ったところに、このようなものが残っています。当時は入り口に扉があったようです(ヒンジが残っている)。
中を覗くとこのようになっています。腰掛けるための場所もあるようです。私は射撃について全く知識がないのですが、どのように使われていたものなのでしょうか。周囲はうっそうとした杉林ですが、当時はもっと開けた場所だったのかもしれません。
銘板です。中央の「的」は読めますが・・・。
昭和16年11月竣工、と読めます。太平洋戦争開戦の少し前の時期になります。
内部は水浸しです。立ち入るには長靴でも履いていないと無理でしょう。雨水が掃けないのか、あるいは周囲の土壌のせいなのでしょうか。ここまでたどり着くにはだいぶ苦労しましたが、この監的壕が運用されていた当時は、いくらなんでもアクセスが悪いので、水田が営まれていたのは戦後なのかもしれません。