民俗編担当調査員本橋幹治
かゆかき棒
新年もまたたく間にすぎて、もう小正月も終わったが、いまでは小豆粥を祝う家も少なくなった。
大正の中頃までは、アボヒボ(粟穂稗穂)を作り、粥かき棒をこしらえて餅をはさんで粥をかき回し、作物の豊凶を占ったのち、いっしょに神棚に供えた。
年中行事の起原を調べるのは、なかなか困難なことであるが、小正月の粥について「枕草子」によってその大略を述べてみよう。
平安時代、十五日には一般的に「望の日」の粥を供えたり、食べたりする風習があった。
「望」というのは江戸時代以前、中国でも日本でも太陰暦を用いていたので、十五日の満月の意である「望」を、中国ではボウと発音し、日本では訓読してモチと読ませた。そこで十五日を「望」または「望の日」とよぶようになった。
さて、枕草子をもとにして、説明を交えながら意訳を述べる。
平安時代、小正月の十五日は、上下ともに望粥を祝ったが「その粥は米と小豆だけではなく、米、粟、黍、小豆、胡麻など七種の穀物を入れて煮た」(延喜式)ものであった。
この行事に付随して、この粥を炊いた木で杖を作り、これで女の後ろを打てばよい子が産まれるという民間信仰があった。
その光景は、誰でも打たれるのは嫌だから、何時も後ろを気にしている様子もおかしいが、どんな隙を見つけたのか、うまく打ち当てて面白がっているのは、本当にユーモラスな情景である。しかし打たれた方はとても嫌な顔をしているのは尤もなことである。互いに打ち合って、あげくの果て男までも打ってしまう。また女達が多く集まっている処へ、中の一人に婚約者が訪ねて来た時、後ろの杖を持った女が、この機会とばかりねらっているのを、前の女達はそれと察して、くすくす笑うので『静かに静かに』と制しながら、急 に飛び出して嫌というほど打って逃げると、一同がどっと笑った。男の人も格別驚いた風もなく、ただ顔を赤らめただけなのも面白い。打たれた女の中で、どんな気持なのか腹を立てて泣きわめき、相手を怨み、不吉なことだといいふらす人がいるのも愉快な話である。
粥に餅を入れたり、粥かき棒に餅をはさんでかき回したりするのは、望粥を餅粥の意にとったものである。
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