飯能百景 7

能仁寺

曹洞宗武陽山能仁寺は松林に囲まれた天覧山の南面にある風趣に富んだ寺です。

文亀年間(1501〜1503)に飯能の代表的武人中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて開いた禅道場がはじまりといわれ、また、中山家勝の子家範が本格的な寺院として創立したともいわれています。

その後、飯能地方の領主、中山・黒田両家の菩提寺となり栄華をきわめましたが、慶応4年(1868)5月の飯能戦争の時、渋沢成一郎を主将とする振武軍の本陣となリ、山門・禅堂をはじめ宝物・古文書など多くを焼失しています。現在の本堂は昭和11年に完成したものです。

本堂西側にある墓地の石段右側には、室町時代から江戸時代初期の郷土武人の墓碑として貴重な、中山勘解由三代の慕(昭和37年5月市指定文化財があります。また、本堂北庭には桃山時代(1573〜1615)の造圃と見られる「池泉観賞式蓬莱庭園」(昭和7年市指定文化財)があります。この庭園は、天覧山の南急斜面を巧みに取リ入れて、背後に枯滝を組み、手前に池泉を配した、上下二段式庭園の典型的なもので、面積は千90平方㍍と中規模ながら、当時の姿をそのまま残していると見られる貴重な名園です。

なお、再建中だった山門も現在は完成し、自然にあった幽玄なたたずまいを見せています。

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