飯能百景 14

石灰焼場跡

この焼場跡は大字上直竹下分字下間野240番に位置し、直竹川に臨む面積465・3平方㍍の原野で山林のすそに約3.5㍍の石垣が積まれています。

この地の石炭焼事業は、慶長年閲(1596〜1615)に師岡・木崎の二家によって始められたといいます。当時江戸建設に当たって多くの資材が必要でありましたので、石灰は青梅街道を箱根ヶ崎(現瑞穂町)から田無・中野を経て江戸に送られました。後には二家のほか、上直竹、成木、小曽木村の入々も加わって、窯を増し盛んに焼かれました。この遺跡はその一つであります。石灰運上は慶長11年江戸城の修築に当たって送られたのを始めに、近くは上野孔子堂、西城、川越、日光、遠くは駿府、尾張、大阪、京二条など、幕府の手による主な事には、ほとんど送られています。その数量も、平年で3000俵内外でありました。

焼き方は、平らな場所の一方に石垣を設けたもので、これを本山といいます。このほかに井戸状に石垣を積みあげた竪窯もあります。

このような方法で焼かれ明治になりなお焼きつがれ300年の歴史をもつこの焼場は、貴重な産業遺跡であります。

心あらわれる新緑の中、散歩するみなさんもごらんになってはいかがでしょうか。

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