飯能百景 16

顔振峠

海抜500㍍の顔振峠は、奥州落ちする源義経が弁慶主従ともどもあまりの絶景に顔を振り振り登ったといい伝えられ、その名がついたといわれています。

また、維新戦争の一つである飯能戦争で追われた振武軍の一人渋沢平九郎の物語も有名です。飯能戦争は、渋沢成一郎を主将に、尾高惇忠、渋沢平九郎を参謀として成立した振武軍と官軍の戦いで、振武軍は、能仁寺に本陣をかまえていました。戦いは、慶応4年5月22日の夜半、笹井河原に始まり、翌日23日に本陣は官軍に敗れ、左肩に負傷した渋沢半九郎が、顔娠峠から越生へ下る途中で、官軍に包囲され自刃しました。

この顔振峠には、平九郎グミとよばれるグミの木と、追悼の碑が立っています。

ハイキングコースとして遠足や、家族づれ、若いハイカーの多いこの峠で、義経のように雄大な景色をご覧になってはいかがでしょうか。

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