西武線飯能駅からまっすぐ北へいくと中山の丁字路につきあたります。ここから右折して約100㍍ばかり行くと左側に天神様で有名な加治神社があります、境内に、「筆塚」と大きく書いたりっぱな碑がたっています。これが渓水翁の顕頌碑です。
渓水翁は、天明3年(1783)陽雲寺に生まれました。性質は温厚で寛大、幼いときから学問を好み、特に書道にすぐれていました。18歳で寺子屋を興し、地元中山、中居あるいは、宮沢、飯能、久下分などから弟子が集まり、文化、文政、天保にかけてもっとも盛んで郷学の花といわれました。門人は、200人、教科は書道をはじめ素読、算学などでした。
天保15年(1884)還暦を迎え一切を子の三鼎にゆだね、嘉永4年(1851)69歳で没しました。
この筆塚は、翁の7年忌に子弟が相はかり師の退筆を埋め塚となし顕頌を建てたものです。この筆塚を「兼ねて墓碑に代う」と銘にあるのは、注目すべきものです。「筆塚」の文字は、三鼎の筆、「本橋先生」の題字は、法眼董斉、銘誌は、日尾荊山の漢文とその友人金村惺斉の和文で、末尾に「宮亀年刻」と石工名があります。