この二つの岩を獅子岩(願道岩)といい、道行く人々の守り神として長く信仰されてきました。
富沢信高氏の「神明社保存帳」による考証は「日本武尊が御東征に際し、上州から秩父を経て当地を通られた折多くの獅子が御通行を妨げた。尊は天照大御神に祈られ難なく獅♪を狩り取られ、感謝の舞を奉納された。神明社付近の地名を今に「猪狩」と称ぴ、16人の姫の舞った所を「十六舞」と称ぶ。夜に入り尊はいたく難渋されたが、3頭の獅子が現われ尊を先導し無事に御通過になられた。獅子はそのまま化石と化し、以来、願道石(獅子岩)と称び伝え、岩の前に小石を積み旅の安全を祈る人々か絶えなかった。大正初期の道路工事の際、一岩損じ二岩を残すこととなったが、信仰は今に続く」としています。
この神明祉・獅子岩は、岩田孝三先生の説(関址と藩界)を借り、この地の自然・地形からこの伝説を考証すると、この地の境の神、守り神であったと察せられます。
神は国の境のしるしとしてまつられました。神明社・獅子岩が境の神の名残りで、長く道祖神としてまつられその起りは、遠く大和時代に求められます。
この由緒ある岩は、獅子岩公園を造り残されています。
──一部割愛──
「獅干岩(願道石)の由来」案内板より