飯能百景 42

本郷大六天
青石塔婆と樫樹

中央公民館の右の道を入間川沿いに西へ数分いくと、右手にこんもり茂った老樹がみえます。これが市指定の白樫の大樹で、その根元に食いこんだ2基の板碑が、畠山重忠の墓といい伝えられています。

この白樫は、日通り5・2、根廻り8・3㍍、枝張り東西13㍍、南北14㍍、地上約5㍍の本幹はおよそ10枝ほどにわかれ繁茂しています。

板碑は、東向きに並び地上高さ150〜170㌢㍍で、基底幅55㌢㍍ほど厚さ14㌢㍍ありますが、木の成長で前画が圧迫され斜にかろうじて立っています。2基の板碑の大きさ、碑形、梵字ともほとんど同じで、年号その他は全くわかりませんが、形式から鎌倉期のものです。

畠山重忠の伝説は、元久2年(1205)武州二俣川で討たれた重忠の遺骸を、家臣が車に積んで秩父に向かうべく、この坂にさしかかったが、車が動かなくなって、この地に葬ったということです。

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