飯能百景 44

多峰主山黒田直邦墓

この黒田直邦の墓は、多峰主山頂の近くにあって、葬った地点に石を置き石柵を設けその前に墓碑を建て、墓前右手に太宰純(春台)の撰ならびに書なる頌徳碑があります。

黒田直邦は、丹党中山氏からのでで、外祖父黒田直相に養われてその氏を弥しました。若いころ5代将軍綱古に仕え30人扶持を拝したのが仕官のはじめでした。それから8代将軍吉宗まで、4代50余年も歴任して信任が厚く、ついに侍従となり老中にまでなって、上州沼田城3万石の大名になりました。

飯能地方を領したのは宝永4年(1707)以後で、黒田直邦の祖先中山家勝の建てた能仁寺を中興し、寺領50石の大寺としました。

また、和漢の学にも大いに通じ大学頭林信篤とも親交があって、多くの著書によっても、豊かな思想、卓越した識見をうかがうことができ

ます。享保20年70歳でなくなりましたが、世嗣直純は祖光ゆかりの地飯能の霊場多峰主を選んでねんごろに葬り、長く一族内の鎮としました。

(墓の所在地は、大字飯能858番地です。)

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