飯能百景 50

能仁寺中山勘解由三代の墓

この墓は、大字飯能1329番にあり、能仁寺本堂西側、石段の右側に縦にならんで建てられています。中山氏は武蔵七党の一つで、丹党に属し飯能の武人です。

由来中山氏の宗家を継ぐものを勘解由と称して、そのうち家勝を祖とし、その子家範、家範の子照守の3代は郷土史研究上、武人の活躍を知るうえでとくに重要です。

初代家勝は、中山館に住み、永正13年(1516)飯能の諏訪神社を勧請し、天文15年(1546)上杉朝定に従って川越夜戦に出陣し、禅道にも帰衣し、永田の細田大膳などと能仁寺を開棊することに尽力しました。

2代家範も中山館に住み、父についで諏訪神社、能仁寺

を中興、北条氏照に属し、慶長15年(1610)上州上田城を攻め上田七本槍の勇名をとどろかせ、元和元年(1615)大阪夏の陣に出陣するなどの活躍はよく知られています。

墓は上から中山家勝のもので高さ1・5㍍の自然石、家範はー・45㍍の自然石、照守のは無縫塔で高さ1・93㍍と順になっています。

室町から江戸初期の郷土武人の墓碑として、貴重なものです。

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