飯能百景 51

中山信吉墓

この幕は、大字中山の智観寺にあります。寛永21年嗣子信正により建立されました。高さ4㍍の盛土の上に3㍍余の宝篋印塔がおかれています。

墓前に、御影堂か建ち、信吉像と木碑を安置しましたが、堂は年をへて大分いたみ明治初年取り払われ、像と碑はいまも本堂にあります。智観寺境内墓地には信吉の墓をはじめ、信吉の墓をたてた信正(風軒)の御霊屋跡など中山家一族の墓碑が林立しています。

中山信吉は、豊臣秀吉の小田原攻撃の時、小田原の支城八王寺城を守って華々しく戦死を遂げた家範の次男として生まれました。後家康に仕えその才能を認められて家康の3男水戸城主頼房の付家老となりました。水戸家に仕えた信吉は、家康の期待にたがわず、その責任を果たし、頼房の絶対の信頼をうけ、従五位下備前守に任ぜられて、2万石の大名にとりたてられました。平素学問を好み、林羅山とも深い親交がありました。

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