この寂光山浄心寺は曹洞宗の寺で、能仁寺5世の吉州伊豚が開いたといわれています。
当山安置の「毘沙門点」は、伝えによると6世梁観禅棟が駒込吉祥寺に遊学中に、学業成就を毘沙門天に祈願し、その功徳によって学頭(首席)となって出世したので、報恩のため、寺に帰ってから堂を建立してまつったといわれています。
以来、遠近の信者をあつめ、夜中に堂宇にこもって祈願したことから、毘沙門さまの夜祭りとして盛んになりました、江戸中期から武蔵野七福神の一つとなってから、商売繁盛、福徳円満の神といわれるようになって、夜祭りにはだ、福だるま、福くまでの市が名物となっています。毘沙門天像は、木彫で、高さ2尺8寸、室町期の作風の特徴を多分に持つ傑作であるといわれています。