この瓦文岩は、奥武蔵グリーンライン沿いにあります。長沢地区から鎌北湖に向かいしばらく行くと左手に大きな岩と祠が見えてきます。この岩が天文岩と呼ばれ、天文学者千葉歳胤がこの大岩窟に入り、数学、暦法、天文について独学したといわれています。
千葉歳胤は、正徳3年(1713)、虎秀に生まれ、生まれつき賢くて勉強家でした。江戸にのぼり、中根元圭という当時将軍吉宗に仕えていた数学や天文の大学者に学ぴ、またその高弟である幸田親盈に師事し、この学問の奥義をきわめました。そのころ、学問のとぽしかった幕府の天文方渋川氏を助けて、蝕算活法率百85巻および皇倭通暦蝕考3巻など、およそ30部2百巻近いたくさんの本をあらわしました。
歳胤は、名利に走らず、ただ渋川氏のために尽くしたのでしたが、その出身か農民であったので表面的に現われることもなく、いたって地味で、かくれた学者でありましたが、その業績は、数多くの著書に明らかです。晩年は江戸を去り、虎秀の山里に帰り、ゆうゆう自適し、寛政元年77歳で没しました。