慶応二年のぶっこうし



慶応二年のぶっこうし

江戸時代も終焉にちかく、日本国中騒然としていた慶応二年六月十三日の夜、飯能地方を中心に「ぶっこうし」は、はじまりました。

武州一揆といわれている農民一揆ですが、当時、物価の騰貴は著しく、農民の生活は困窮をきわめていたようです。

上名栗村から多数の農民が押し出し、途中の村々で村民を狩り集めて、飯能、所沢、川越、青梅、八王子、小川、東松山などへ燎原の火のように広がったのですが、各地の城兵や役人などにより鎮圧されました。

米の安売り、酒食の焚き出し、資金の調達などをかけ合い、聞き入れない穀屋や物持こわちの大きな家などを打ち殼しました。

手に手に百姓道具を持って、何千人もの農民が飯能河原に集合し、東へ、北へ、南へと散って押し出して行った様子は、どのようであったのでしょうか。

宿谷武氏(下直竹)所蔵文書より

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