賢良院様御通棺



賢良院様御通棺

能仁寺墓地の最上段に、飯能市街を見下ろすように立っている七基の石塔があります。いずれも、飯能周辺の村々を治めていた黒田家代々の墓石ですが、その西端が黒田家五代の当主で享和元年(一八〇一)七月二十日に没した黒田直温のものです。

「賢良院殿従五位下守和州大守丹治真人潤徳直温大居士

矢颪の中村正夫氏所蔵文書の中に、直温の所築造用材の運搬人馬割合帳がありました。

それによると、通棺の道すじの村々の人たちによって石材が村継ぎされ、墓穴の掘削、穴埋めなどは近在の村へ割当てられたことがわかります。

あの大石をどのような方法で、あの高所へ上げたのか、なぜ遠方から石材を運ばねばならなかったのか、等々いろいろの疑問がわきますが、関連の文書が見つかることがのぞまれます。

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