飯能は、谷口集落という地理的条件により近在の村々からの物産の集散地として発展して来ました。
江戸時代の中期ごろから、市場町が形成されたようですが、毎月六と十の日に市をたてたようです。
山手町の大河原文子氏所蔵の文書によると明和七年(一七七〇)に飯能市の開催日について、上市と下市との間に争いが起こりました。
もともと、上市と下市とは交互に市を開催していたのに、近ごろ下市の人たちはその決まりを破り、上市の町日にも開くので、上市の人は困窮しているので、何とかしてほしいと訴え出たものです。
このてん末については不明ですが、現在の中央公民館の前から、広小路までの間の両側の家々が、上下に分かれて商売をしていました。その後、どのような役所の裁断が下ったのか興味のあるところです。