紙すき



紙すき

現在の市域に含まれる村々での産業の一つに、紙すきがありました。

農閑の仕事として行っていたようですが、当時、その生産量はおどろくほどで、有名な小川町のそれを、はるかにしのぐほどでした。

宝暦二年(一七五二)、下赤工村、上赤工村で紙をすくための元手金を借りるという「借金證文」があります。それによると、下赤工村が三十二両、上赤工村が三十八両と一つの村では、ちょっと考えられない額を借りています。

当時の米価は、金一両についておよそ一石三斗の値段であったようですので、この借入れ額の大きさが分かろうというものです。

この借金は、翌年から年賦で返済し、利金は紙の広紙(種類)で納めますという約定になっています。

この二村の外にも、山付きの村では、それぞれ相当の紙すきをしていたことは、ほかの文書にもみられます。

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