明治十五年五月二十二日、飯能は、はじめて町制を敷き「飯能町」として誕生しました。
それまでは、飯能村、久下分村、真能寺村の三か村が別別の村でありながら、一つの町並みを形づくっていました。
しかし、商業活動、郵便など、それぞれ村勢の発展を推進するには不都合であり、三か村が合併して新しい町をつくることが、最も適切であるとの住民の要望によって合併が実現されたものです。
この後、明治二十二年には、、飯能町と中山、久須美、小瀬戸、大河原、小岩井、永田の六か村が合併し、あらたに大きな飯能町の誕生をみたのです。
また、この年は市制・町村制法の施行により、各地で町村合併が行われ、現在の市域の中では、飯能町をはじめとして、加治村、精明村、南高麗村、原市場村、東吾野村、吾野村の村々が生まれました。その後いくつかの合併を経て、現在の飯能市となっています。