武蔵野鉄道



武蔵野鉄道(前)

現在の西武鉄道池袋線の前身である武蔵野鉄道(飯能・池袋間四十三・八キロメートル)は、大正四年四月十五日に沿線住民の期待のうちに開通しました。

それまでの馬車鉄道(飯能・入間川間)と比べ、機械が動力となっているのですから、歩くことがあたりまえの人達は、さぞおどろいたことでしょう。

前号の「いかだ流し」でお話ししましたように、大正時代に入りますと、機械文明の発達とともに、地元林業もめざましい発展をとげ大量に、しかも早く大消費地である東京へ送る必要と沿線住民の利便を図るという目的から、鉄道の敷設となったものと思われます。

林業と鉄道との関係は、昭和三十年代までの飯能駅周辺を見ると分ります。

周辺には、材木工場が十軒以上も軒をつらね、鉄道を利用して木材を消費地に送り出しました。

その後、自動車輸送の発達によって、市街地周辺部へ移転する工場が多くなりました。



武蔵野鉄道(後)

ここで、開通して間もない大正七年の時刻表によって飯能から池袋までの駅名をたどってみましよう。

飯能、仏子、黒須、豊岡町、三ヶ島村、西所沢、所沢、秋津、東久留米、保谷、石神井、練馬、東長崎、池袋と十四の駅がありました。

この区間を一日八往復、所要時間二時間五分で走っておりました。

いまのマラソン競技の記録よりわずかに早い速度で走っていたようです。

今は飯能から池袋までの駅数二十二、所要時間五十分ほどですが、駅数や所要時間の差は、そのまま機械文明や沿線市街の発展の歴史が物語られているのでしょう。

その後、有志の発起によって飯能・吾野間が開通したのが昭和四年九月十日のことです。さらに、昭和四十四年十月十四日に秩父まで延長され、飯能の地場産業の発達や通勤、通学また観光にと飯能の人達と深いかかわりを持っております。

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