西武線とともに、飯能を通る鉄道に国鉄八高線があります。
八王子と高崎を結ぶことからこの名がつけられましたが、この鉄道は従来首都圏内を南北に連絡する交通機関がなかったことによる住民の要望と当時の政治状勢から軍事輸送一の目的もあって敷設されたのではないかと思われます。
昭和六年十二月十日に八壬子・東飯能間が開通し、昭和八年四月十五日に東飯能・越生間と区間ごとに開通の日時が異っています。
全線が開通したのが昭和十七年五月一日で、当初は八王子・高崎間を十往復していたようです。
昭和十五年七月二十二日には、川越線も開通し県都浦和・東京都心・八王子・高崎と主要都市を鉄道で結ぶというその中で飯能は近代都市としての地理的条件が整ったわけです。
運賃の推移をみてみますと昭和六年五銭、十七年十銭、二十一年二十銭、二十六年十円(これは一〜三キロまでの最低運賃で子供は半額)でした。