人が住居するための条件で最低これだけはなければという自然環境の条件と公共施設の条件があります。
自然環境では、いうまでもなく光、緑、空間の三つですが、公共施設では上水、下水、電気であろうと思います。
しかし、これらの条件のうち公共施設については、どこのまちでも数十年以前は、整備されていませんでした。
上水については、町なかは井戸水、少し山間に入ると川の水を利用するという状態でした。
ひとたび密集地で火災が発生しますと、井戸水を吸み上げてというのでは、とても水量が足りませんし、消火の原則である発生初期の放水もできなかったでしょう。
また、井戸水、谷水の衛生状態を考えますと、人口がふえるに従い水質が悪化し、伝染性の病気がまん延する恐れがあり、事実、昭和初年までは赤痢の発生などがたびたびあったようです。
そのようなことから、昭和初年になって上水道敷設の必要が叫ばれ、当時の町長であった双木利一氏の発起によって、事業がはじめられることになりました。
飯能町の年間予算が、わずかに十万余円の当時、二十四万円を投じた大事業の施工ですから、町長はもちろん、町民が一丸となって完成にまい進したのでしょう。
数々の難関をのりこえて、昭和七年十一月五日、双木町長の事業を引きついだ井上町長によって完成をみました。
こうして飯能の上水道は、県下で秩父、深谷、児玉についで、四番目という先駆的事業として完成しました。
以来、飲用水、消防、伝染病のまん延防止と、多くの効用を市民にもたらしました。
その後、人口の増加に伴って、次々に配水管の延長や施設の増設が行われ、現在は市街地住民のほとんどが利用しています。