江戸時代から明治のなかばまでは、現在「大字」と呼ばれている区域が独立した村でした。
したがって飯能市域には五十以上の村があり、それぞれ名主・組頭・百姓代という村役人(村方三役)がきめられていました。
名主は、村の最高責任者として年貢の徴収などの村政一般をつかさどり、組頭はそれを補佐する役目でした。
百姓代は年貢小割(年貢を家別に割当てること)や、村入用小割(村費を家別に割当てること)などに立ち合い、名主や組頭の行う村政に対し一般農民を代表して監視をする役目だったようです。
名主役は、江戸時代初期、世襲が多かったようですが、中期以降は一代限りとなったところもあったようです。
これらの村役人によって、村が運営されていたわけですが、次号からは資料によってそれぞれ村の生活をたどってみたいと思います。