家を建てるということは、個人にとっては生涯の大事業の一つです。
ことさら江戸時代の農民にとっては大変であったろうと想像されます。
武蔵多摩郡の鈴木新田というところには、十四年間かけて家をつくったという記録もあるそうです。
このような困難をこえて家をつくろうとするとき、自由に好みに合った建築をすることは禁じられておりました。
享和三年(一八〇三年)に小岩井村の役人に出された文書(石森家文書)には、「このたび家作普請について花麗(華麗)につき村役人からおただしがありましたが、前記のように致します。」
一、杉戸唐紙不相成事(花鳥が画かれた杉の板戸や唐紙は使いません。)
一、床之間奥行三尺ニ可仕事(床の間は三尺にします。)
一、上がらか不相成事(家の中の便所はつくりません。)
このような八項目の約束が成され村役人に提出されました。