村の生活─村入用



村の生活─村入用(1)

村入用帳とは、村でその年に使われた費用とその負担割合の書かれた帳面で、年貢とは別に各人にかけられた村の運営費の負担帳です。

いまでいえば「市民税」のようなものです。

天保三年(一八三二年)の赤沢村入用帳には、次のような支出が書かれており、当時の生活を彷彿とさせるものもありますので、解説を加えて少少長く引用させていただきます。

鉄炮証文差上二罷出候路用(鉄砲は許可なく所持することが禁じられていました。そこで許可を受けるために役所に出むいたときの旅費)

一宗門帳差上二罷出候路用

(むかしの飯能30でお知らせした宗門入別帳を役所に届け出たときの旅費)

一夏成御年貢御上納二罷出候路用

一秋成御年貢御上納二罷出候路用

一冬成御年貢御上納二罷出候路用

一皆済御年貢御上納二罷出候路用



村の生活─村入用(2)

年貢は一時に納入するのではなく、作物の穫れる季節ごとに、夏は麦や大豆、秋は米などのように納めており、その都度「小手形」(領収書)を受けとり、その年の十二月から翌年の三月ぐらいの間に交付される「年貢皆済目録」と引きかえに小手形を返してその年の年貢は完了したことになります。もちろん年貢を納めることができなければ、小手形も、年貢皆済目録も発行されませんでした。

一當年中紙墨筆代(江戸時代は宗門人別帳や検地帳などのように、多くの簿冊を村に備えておかなければなりませんでした。それらの重要書類を書くために、貴重であった紙や墨、筆を購入した代金)

一當年中御用二付村々江寄合候入用(何の御用であったかは分りませんが、役所からの命令によって近隣村々の重立ちが寄り集って会議を開いたときの赤沢村負担分)



村の生活─村入用(3)

一當年中旅僧山伏道心者止宿賃合力(旅の僧や山伏(修験者か)道心者(乞食坊主)が赤沢村に来て宿泊したのでそれにかかった費用。)

以上九項目の費用が書かれてありますが、他の村のものなどを見ると「ごぜ座頭賄」「豪雨のため道普請」などのように、当時の生活を知るのに必要な貴重な資料です。

これの負担の方法は、高割(各人の収穫高に割掛ける方法)や戸数割(家別に掛ける方法)などがあり、村によって多少のちがいがあったようです。

旅僧…、ごぜ…、などは現代生活では遠いこととなってしまいましたが、道普請や消耗品の支出などは、今でもご家庭での日常生活で経験できるものです。私達の五、六代前までの人達が、どんな暮らしぶりをしていたのかを、このような資料からもおわかりいただけたかと思います。

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