江戸時代・飯能の支配者



江戸時代・飯能の支配者(1)

現在の飯能市域に含まれている地域には、江戸末期、50以上の村がありました。

市街地部分を除いて、現在「大字」と呼ばれている地域は、一つの独立した村でした。

その村々は、大名、旗本、代官などにより支配され、それぞれの支配形態があったようです。

ここでちょっと長くなりますが、次号にかけて各村の支配者を「新編武蔵風土記稿」という天保元年(一八三〇)に幕府に出された武蔵一国の地誌で、ひろってみましょう。

なお、ここで村名が重複して出てくるものは、支配者が複数で分割統治していた村です。

黒田領の村─黒田は中山氏の出で、上総国久留里に城があり、榛沢郡岡村に陣屋を置いて支配していた─

飯能村、久下分村、真能寺村、中山村、永田村、小岩井村、矢颪村、前ヶ貫村、宮沢村、白子村、平戸村、虎秀村、上井上村、下井上村、長沢村、川崎村。以下次号へ



江戸時代・飯能の支配者(2)

一橋領の村─一橋は徳川氏の分家で、八代将軍吉宗の第四子宗尹が一橋家を興した─唐竹村、赤沢村、原市場村、下直竹村、大河原村、上畑村

田安領の村─田安は、一橋と同様吉宗の第三子宗武が田安家を興した。一橋、田安と清水を指して三卿という─。上岩沢村、下岩沢村、阿須村、笠縫村、川寺村、久須見村、岩渕村、下畑村、下川崎村、上赤工村、下赤工村、曲竹村、中藤村上郷、中藤村中郷、中藤村下郷、双柳村。

旗本が治めていた村─旗本とは武士の階級の一つで、一万石以上を大名といい、それ以下の家禄を有していた者をいい、ここでは徳川氏の家臣─落合村、中居村、青木村、芦苅場村、下川崎村、平松村、小久保村、下加治村、宮沢村

旗本の領地は釆邑とか知行地とか呼ばれ、幕府から俸禄として給付された土地のことで、前記の村々は各々の旗本の知行地でした。以下次号へ



江戸時代・飯能の支配者(3)

代官が治めていた村─代官とは幕府直轄の領地を支配した幕府の役人─

岩淵村、落合村、中居村、青木村、双柳村、芦刈場村、下川崎村、平松村、小久保村、下加治村、宮沢村、上直竹村、苅生村、小瀬戸村、坂石村、坂石町分、高山村、北川村、南川村、坂元村、南村。

以上

黒田領十六箇村、一橋領六箇村、田安領十六箇村、旗本知行地九箇村、幕府直轄領二十一箇村、合わせて六十八箇村となりますが、一つの村が分割して治められているところがあり、当時の村数は五十五箇村でした。

なお、最初におことわりしましたように、支配者と村名は文政から天保にかけてのものであり、幕末にはこれが相当変化しております。

そのときどきの政策の変化や代がわりなどによって支配者がかわりましたが、この支配者とは別に治安取締まりの必要から「組合村」という組織がつくられました。

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