後編では掘り下げようのない話が続くので、一気に紹介する。
まずは幽霊が出るという墓地で一晩過ごしたが何も起きなかった話で、これもどこまで実際の取材を反映しているのか怪しい。アベック云々の記載もあるが、文化新聞にはこの種の内容をよく取り上げる「飯能こぼれ話」という成人向けの巫山戯た連載があり、これは昭和40年から48年頃まで不定期に連載され、その後も59年まで断続的に掲載されていた(文化新聞閲覧システムの収録が59年までなので、それ以降も掲載された可能性はある)。話題の類似性を見るに、「飯能こぼれ話」の記者と「信じようと信じまいと」氏の記事は似ているし、少なくとも鹿山峠の話の「幽霊が逮捕された!?鹿山峠にデマ乱れ飛ぶ」の書きぶりは「飯能こぼれ話」と同じ人間の筆によるものだろう。
昭和46年(1971年)9月22日 単身記者は噂の墓地に潜入 幽霊を見たと言う主婦
最近、飯能市内の一角で、怪談話がしきりと人の口の端にのぼっている。
曰く、X寺の墓地に、草木も眠る丑満時になると、あやしい人魂が燃え、身の気もよだつ恐しい幽霊が出るというのだ。
このX寺の墓地というのは、どこの墓地でもそうだろうが、夜ともなると、この聖なる地が“性なる地”と化して数多くのアベックのたまり場となることでも有名?で、記者も、始め前記の怪談話を聞いたときは、アベックのスソを乱したあられもない姿を、そそっかしい人が幽霊と見間違えたのではないかと疑ったが、幾人かの“目撃者”誰もがワナワナとふるえながら真剣に話すところをみると、これは満更でたらめではないかも……と、記者は単身、昨夜くだんの墓地に潜入したのである。
◆…………◆
ここで読者のために、あらた怪談話の発端をお知らせすると、例の墓地の附近にある某アパートの二階に住む若い主婦A子さんが、幽霊騒ぎの第一の目撃者である。この主婦A子さんが、或る深夜、寝苦しいままに布団から抜け出し、何に気なく部屋の窓を開け、眼下に広がる墓地を眺めると、折りから怪やしい一陣の風と共に実にいやーな、なんとも言えない生ま臭い空気が明け放たれた窓から部屋の中に流れてきた。まるで腐った臓物のような臭いだ。
その時、A子さんは、眼下の墓地の一角に、白くフワフワーッとした怪しい影を見た!
それは、長い黒髪を一筋二筋口にくわえた女の白い影だった。その影は、実におぼろで、絶えずゆらゆら揺れていた。そして、白い影の女が、二階のA子さんに向って、ニターッと笑ったのだ。その裂けた口は真ッ赤!
キャーッと一声叫んで、A子さんは当然その場に失神した。A子さんは、それから三日三晩うなされ通して、ショックのあまり、枕から頭を上げることが出来なかったという。
このA子さんの”怪談話”が翌朝からたちまち広まった。それどころではない。A子さんの他にも「私も夜中に青白く光る恐ろしい人魂みたいなものを見た」とか「墓地の一角だけが、他は真っ暗なのに、ボーッと白く浮んで見えた」等々、次ぎ次ぎと第二、第三の目撃者が名乗り上げて出てきたのだから、いよいよもっておだやかではなくなった。
然し、元来が無神論者の記者のこと、こんな女子供(失礼)言う霊話なんかテ頭から馬鹿にしちやっている。幽霊より怪いのは、呑み屋の女将サンが突き出す勘定書かドル・ショックぐらいなもんだ。
ようし、かくなれば、可愛い婦女子の為に幽霊の正体見たり枯れ尾花としやれて見ようと深夜カメラ片手に墓地に潜入したという次第。
正確に言えば、二十日(月曜日)の午前は一時頃。
もちろん、記者のほかには、人っ子一人居ない。いやな雨が音もなく降っている。それでいて墓地の中というものは、不思議と薄明るいものである。新仏らしい土饅頭が目に入る。白卒塔婆がニョキニョキとー。
記者は、懐中電灯しっかと握りしめ、無神論者の記者であるにもかかわらず、口の中では、アーメン、なむあみだぶつ、なむみようほうれんげきょう、アラーの神よ、我れを守り給えと東西の神仏の名を繰り返しながら、幽霊が出たという所を中心に広い地内を一巡したのダ
その間一時間あまり。とうとう何も出なかった。出たのは、記者のホッとした安堵の声だけだ。
結局、お化けだなんっていうもんは、このセチがらい現世には実在しないという事が証明された訳。それとも、記者が墓地に行った日は、月曜日。だから飯能の商店街並みに、幽霊も定休日だったのか。
この怪談話、信じようと、信じまいと、それは読者の自由である。
引用元:文化新聞 昭和46年09月04週
この話はどうと言うこともないないので、紹介するだけとする。
次は東吾野の鎌倉橋附近に幽霊が出た(出ただけ)という話になる。
昭和52年(1977年)9月17日
東吾野に美人幽霊?
ゾッ旧墓地付近でかき消えた!
秋のお彼岸が近付いたせいでもあるまいが、最近、飯能市は東吾野地区に“幽霊”話が持ち上っており、残暑きびしい折柄格好の夕涼みとなっている。
この幽霊を見たという人が、一人や二人ならず、五人も六人もいるとあっては、いささかおだやかではない。そこで、本紙記者は一夜、おっ取り刀ならぬおっとりペンで、現地に飛んだ
さすが新聞に出すとあっては、目撃者といえども容易に口開かない。それでも、「目のさっ覚や、見間違いではありません。ホントに見たんですよ。私は...」と口に出すのも、おぞましいという、真剣な表情だ
そこで、当の本人から聞き出すのは、とてもムリと判断した記者は、巷間に流れる口コミ情報から、彼ら目撃者諸氏の“証言”を記者なりに構成してみた
〔目撃者Aさん(四二)〕=あの夜は、雨催いのいやに真っ暗な薄気味悪い晩だったヨ。あたしゃいくらか酒こそ呑んでたが、決して正体を失うほど、酔っ払ちゃいなかった。だから、ちゃんと車は運転できたんだよ。こんな話、警察に言っちゃ駄目だよ。酒気帯び運転でお目玉食うからな。ま、それで車を運転して、東吾野の鎌倉あたりまで走ってきたら、たった今まで何んにも見えなかった橋の真ん中に、白くボーッと光るものが立ってんじゃないか。ライトの光に当って、その白いものがハッキリ見えたと思ったら、パーマのかけてない髪の毛が、肩のあたりまでパサーッと乱れた、青白い顔の女が、おれの方を見て、ニターッと笑ったんだ。もちろん、おれは魂消たよ。無我夢中で、ハンドルをかわして、橋を渡り切ったんだが、もう怖くて怖くて、あとも振り向かずに、家まで素っ飛んで帰ったんだ。その晩は、風呂も入らずに布団の中にもぐって、この年になって、朝までフルえていたよありゃあ、間違いなく幽霊だ。幻覚なんかじゃない」
【目撃者Bさん(二六)】=あの日は、彼女とデートした晩の帰りだから、たしか土曜日の十一時ごろでしたね。彼女も、一緒に車乗ってたんだから、もちろん、二人であの“幽霊”を見たんですよ。彼女の証言も聞きたいいって?それだけはカンベンして下さいよ。彼女と付き合ってんのは、誰にも内緒なんだから。それでね、ぼくの見たのは、橋より離れたカーブのところで、はじめは、その白いボーッとした影みたいなものは、道のはじっこに立ってたんですがぼくの車が近付くとスーッと音もなく、道の真ん中まで来て、フラフラゆれながら立ってんです。彼女は、キャーッと悲鳴をあげてぼくに抱きつくし、ぼくはぼくで、その白い影に車ぶつけてはいけないと思って、あわててハンドルを切ったりしてたから、その“幽霊”が、男か女か、若いか老人かなど、全然判らなかったが、しばらく行き過ぎてから、あとを振り向いてみると、さっきのところには、何んにも見えずに、それこそ人っ子一人立っていなかったんです。それで、あッ、これは霊だと直感して、夢中で逃げました」
以下、Cさん、Dさんも、だいたい似たり寄ったりの“目撃談”なので、あえて割愛するがこれがエスカレートして、やれ「鎌倉橋のたもとで、子連れの絶世の美人を車に乗せたら、昔墓地があったという付近で、いきなり後部座席の子連れの女が消えてしまった。あとにシートが、びっしょりぬれていた…」など、まことしやかな“正調幽霊節”が、口から口へと、広まっており、この口コミのほう本物の霊より、よっぽど恐ろしい。
なお、この東吾野の話に対し、地元の駐在さんは、
「おそらく、土地の誰かが白っぽい着物で、深夜うろついているのを見た、近所の人たちが、あえて事情を知って、“善意”に解釈、幽霊説になぞらえているのではないか。いずれにしても現近代社会に、そんな非科学的な幽霊など存在する筈がない。全くナンセンスですよ」との、まことに明快な見解をみせている。
おっ取りペンの記者も、これを聞いて、だんだん自信がなくなってきた―。
引用元:文化新聞 昭和52年09月03週
幾つかの話が載っているが大したことは起きていない。「巷間に流れる口コミ情報から、彼ら目撃者諸氏の“証言”を記者なりに構成してみた」とあるのも、怪談をでっち上げたことを遠回しに示しているのではと考えられる。「巷間に流れる」という書き方は、鹿山峠の話でも出てきたが、出所の怪しい記事に使われるフレーズである。話の要素として、路上の白いもの、子連れの女性という要素も昭和43年の鹿山峠の話と似たところがある。
昭和54年(1979年)7月12日
「夜中の一時すぎ、タクシーに乗って、二、三年前、女の幽霊が出たという東吾野の鎌倉橋を吾野寄りに少し行ったところで、風も吹いてないのに、急に背中のあたりがゾーッと寒くなり、腕など総毛立って鳥肌になってしまった。私だけでなくタクシーの運転手も、同じようにイヤーな気持となり、鳥肌になってしまったから、決して私の気のせいや、体調のせいでもない。たしかに、何かが、あのあたりに存在していたんだと思う」(最近吾野の某知名氏が、実際に体験した話)
飯能こぼれ話 鎌倉橋附近に幽霊?!
引用元:文化新聞 昭和54年07月02週
悪寒がしたというだけの話で、抑制した内容であり、実際に記者が聞いた話かもしれないと思わせるのだが、しかし約半月後にこの内容を“総集編”として、だいぶ膨らました話を掲載している。この記事が「飯能こぼれ話」の枠内であることも考えると、“夏の怪談記事”の一環と見る方が適切だろう。
昭和54年(1979年) 7月29日
信じようと信じまいと・・・
川が泣いている?!
「お客さん。 私は、先立ってヘンなお客を乗せましてね…」
「ヘンなお客って、エロ気狂いの女かい」
「それなら、まだ良いんですがね。ところが、お客さんみたいな一見立派な紳士なんですよ…」
「そうすると、私もヘンなお客の一人かい。ひがむよ」
「そういう訳じゃあないですよ。そうですね、五十四、五の格幅のよい紳士に、飯能駅前で車を拾われたのは、二、三日前のムシ暑い夜中の一時ちょっと前のことでした。学者タイプのお客さんで、『あんまり暑いので、正丸峠周辺の夜景見物でもしたい』と、いうので私は内心変ったお客だなとは思ったが、お客さんの言う通り、吾野方面に向って車を走らせたという訳です」
「どうっていう、珍しい話じゃないじゃないか」
「まあ、最後まで聞いて下さいよ。そこで私は、車を走らせながら、道中いろいろ話を聞いていますと、このお客さん、『私は霊能者で霊界の者とも話が出来る』と、気持ちの悪いことを言い出したんです。そっとバックミラーでお客さんの方を覗いてみると、益々気味の悪いことに、座席に正座をしながら、両手を合せ、何やら口の中で唱えはじめたのにはビックリしました」
「……」
「お客さんの前ですけどね、私もいささかハンドルを握る手ががふるえて来ましたよ。深夜、乗せたお客が、お経みたいなものブツブツ言い出したら、誰だって気味悪くなりますよ」
「それはそうだな。若い女のがあぐらかいてハミングしているのとは訳が違うな」
「するとね、お客さん!」
「な、何んだよ。急に大きな声を出すなよ。びっくりするじゃないか。
私は心臓が強くないんだからね」(つづく)
引用元:文化新聞 昭和54年08月01週
昭和54年(1979年)8月02日
「すみません。つい、あの晩のこと思い出しちゃって、力が入っちゃったんですよ。どこまで話したんでしたっけ?あ、そうそう。そのお客さんがですね、丁度いまこの車が走っているあたりまで来ますとね、車の中から真っ暗な外を指差して、『川が泣いている!川が悲しい声を出して泣いている!私は、これ以上前へは行けない』と言い出したんです。これには私もタマゲケましたね。タマゲたというより、ゾーッと背筋に冷たいものが走りましたよ。その霊能者のお客さんが、『このあたりの川には、浮ばれない霊がいる。そのため、悲しそうに泣いている」と私に言うんですが私には別に川が泣いているような感じはしなかったんですが、いつもと同じような川の瀬音きり聞こえない―というより瀬音さえろくに聞えなかったんですがお客さんにそう言われると、何んだかイヤーな気分になってしまって、そのまま、お客さんの言うとおり、Uターンして逃げるように飯能市街地まで戻ったというわけなんです。それがね、お客さん、その川が泣いている辺りに、石の地蔵さんが立っているんですよ。何にか因縁でもあるんでしょうかね」
信じようと信じまいと…… 川が泣いている?!
「それが、この辺りだと言うのかい?いやだよ、運転手さん。わざわざスピードゆるめることはないよ。ライトの光りで辺りの景色が目に入ってしょうがないよ。それより、何か霊気がただよっているような、鳥肌 立つような...」
「お客さん、みなまで言わないで、実は私もさっきから、同じようにゾーッと寒気がしているんですよ。今まで何んでもなかったんですがね。やはり、お客さんのいうとおり、霊気というが幽気というか、そんなものを感じるんです」
「……」
◎~◎
以上は、「夜中の一時すぎタクシーに乗って、二、三年前女の幽霊が出たという東吾野の鎌倉橋を、吾野寄りに少し行ったところで、風も吹いてないのに背中のあたりがゾーッと寒くなり、腕など総毛立って鳥肌になってしまった。私だけでなくタクシーの運転手も、同じようにイヤーな気持になってしまったから、たしかに、何かが、あのあたりに存在していたんだと思う」と、最近、吾野の某知名氏が実際に体験した話 (七月十二日号こぼれ話)の“総集編”でした。
引用元:文化新聞 昭和54年08月01週
もとの話とは似ても似つかぬ内容になっている。急に大きな声を出して驚く、という流れは正丸峠の話でもあった。
ひょっとしたら前年の鹿山峠の怪談が大当たりをしたのを受けて二匹目のドジョウを狙ったのかもしれないが、こちらはそれほど評判にならなかったようだ。
次は真冬の時季に掲載された記事であり、納涼を意図しない分、事実性があるのだろうか――と一瞬思わせるが、最後に「信じようと信じまいと、それはあなたの勝手」と閉じられるので、なんだか怪しくなってくる。
昭和58年(1983年)2月11日 真冬の夜の怪談!? 「寒いよう」と老婆の幽霊
真冬の夜の怪談!?
「寒いよう」と老婆の幽霊
幽霊やお化けだというものは夏にばかり出るものかと思っていたら、真冬の一月に「うらめしやー」と街のド真ん中に出てきたというからビックリ。
この幽霊の出没、仮りに飯能市内の某町としておく。こういうことは、あまりハッキリ書くと、後々ロクなことはない。文字通り、後のたたりが怖いから某町内会とだけで、読者にはガマンして貰うこととする。
早速、一月のなかばごろ、幽霊を見たというAさん(35)の話から聞いてみよう。
「やせ細った女の幽霊が、夜中に私の枕元に立って、『寒いよう、寒いよう』と、蚊の鳴くような声で言って、しきりに私に何やら訴えている。かなり年を取っている女のようで、とてもこの世のものとは思われない。私は声を出そうにも、声が出ない。ただ夢中で布団の中にもぐり込んで、恐ろしくて、ガタガガタふるえながら、朝まで眠れなかった。あれは決して夢ではなく、ホンモノの幽霊だ」。
記者は、この真に迫ったAさんの話にも、まさか、この世に幽霊だなどと一笑に付してじられなかった。
しかし、もう一人、「私も見た!!」という人が出た。Aさんの家から、あまり離れていないところに住むBさん(52)がその人だ。Bさんは「思い出してもゾとする」と、顔をしかめながら、こう話す。
「私の場合も、老婆の幽霊でAさんのところに出た幽霊と顔形がそっくりだ。やはり、夜中にフッと眼をさますと、丁度部屋の空間に浮んでいるように、老婆の幽霊がハッキリと見えた。もちろん、私はビックリして大声を上げたんだが、しばらくはその幽霊、私の顔をジッと見下していて、そのうち煙が薄れるように消えてしまった。テレビや映画などで見る幽霊とは、比べものにならない怖さだ。もちろんその幽霊の顔は生れてはじめて見たもので、身内にも知り合いにも、そんな顔の老婆はいない」。
一人ならず二人までも、こうハッキリとした目撃者が出ては、記者としても信じざるを得ない。そこで改めてヒザを乗り出した。この怪奇物語は更に続く。Aさん、Bさんの話を聞いた近所の人たちは、アッと思い当ることがあった。
それは、二人の目撃者宅から少し離れたところに、子どものいない老夫婦が住んでいた。そのうち老主人が病気で亡くなったあと、一人残されたおばあさんは、淋しさの余りか精神に異常を来たしてしまい、病院に収容された。ところが、このおばあさんも、亡くなった老夫の後を追うように、昨年の十二月の暮れ遂に息を引き取った。
この時、身寄りが遠方ということで、隣り組でお葬式を出したが、「老主人に先立たれたおばあさんの淋しそうな顔を今でも思い出すが、当時は本当に何と慰めてよいか判らなかった」と、この薄幸なおばあさんの死を心から近所の人たちは悼んでいるが、この死んだおばあさんの顔が幽霊にそっくりだというのだ。
そして「このおばあさんの霊が浮かばれずに迷って出てきたのではないか」と近所の人たちは推察し、それでも同じ迷って出るならば「生前親しかった人たちや親類の人の前に出ればよいのに」と不審がっている。
AさんもBさんも、最近この近くに引越してきたばかりで、もちろん死んだおばあさんには面識がなかった。
最後に、町内会の顔役Cさん(62)の話を聞いて、この真冬の幽霊ばなしの幕を〆くくろう。
「とにかく、幽霊の出た二軒の家はもちろんのこと、われわれ隣り組にもいつ幽霊が出るか判らないので、皆んなで話し合ってお寺の住職さんにお願いして、先日ご祈禱をしていただいた。おかげさまで、その後はどうやら幽霊が出なくなったが、この世の中に霊魂が迷って出るなんて本当にあることなんですね。AさんもBさんもマジメな人で、ウソを言うような人でないので、私はこの幽霊ばなしを信じています」。
さて、あなたは、このハナシどう思いますか?信じようと信じまいと、それはあなたの勝手…。
引用元:文化新聞 昭和58年02月02週
次も、死んだ老人が現れるという話。
昭和59年(1984年)8月18日 死んだ老人が日参!? ゲートボール場の怪
真夏にふさわしいコワ~イ怪談話がある。(もっとも、オモシロイ怪談話はない)。信じようと、信じまいと、それは読者の勝手である。
飯能市内の某ゲートボール場での話。
このゲートボール場に、毎朝六時ごろになると、一人のやせた小柄な老人がやってくる。実際は歩いてくるところは見た者がいないが、いずれにしてもその時間になると、コートの脇のベンチに腰をかけて、黙ってコートのあたりを見すえている。
ヘリのついた帽子をかぶっているが、その下の坊主頭の髪の毛は真っ白で、ひたいや頬にきざまれたシワの数も多く、また深い。
ベンチに腰をかけ、ゲートボールのステイックの柄の方をアゴの下に置き、その老人は微動だにしない。
それが、十日も二十日も続いている。よほど、ゲートボールが好きな老人なのか、それとも朝早くから意地の悪いせがれの嫁に、邪魔者扱いされて家を飛び出してくるものか、その無表情な老人は毎朝六時ごろになるときまってゲートボール場のべンチに腰をかけている。
これを毎朝見ている付近の会社員某さんは、ある日、自分の父親に「これこれ、こういう老人が毎朝ゲートボール場に来ているが、どこの老人なのか」と聞いたところ、その会社員の父親は、みるみるうちに顔を真っ青にして「それは間違いなく一カ月前に死んだAじいさんの幽霊だ。Aじいさんは、三度のメシよりゲートボールが好きだったが、それが年が年だけに、ポックリ死んでしまった。姿格好がAじいさんにそっくりだし、 そんな朝早くからゲートボールをやる訳がない。だから、普通の人間ではない。ゲートボールに未練があって、Aじいさんはあの世から出てきているのではないか」とブルブルくちびるをふるわせ、ゲートボール場の方に向け手を合せた。
それを聞いて今度は某さんの方がびっくりした。「そういえば、何んとなく顔色が青く、影の薄い老人だった。それが、ゲートボール好きの老人の幽霊だったとは…」と、某さんそれから三日間ばかり寝込んでしまったという。
不思議なことに、その後、Aじいさんの姿は、そのゲートボール場に現われなくなった。
引用元:文化新聞 昭和59年08月03週
ひとつひとつはどうしようもない話なのだが、編集の過程で何度か読み返しているうちに、これは「信じようと信じまいと」氏のサービス精神の発露なのではないかとだんだん思うようになってきた。そう思うと、それなりの味わい深さも出てくるものである。
2025.12.30up