飯能市立図書館の文化新聞閲覧システムには昭和27年から昭和59年までの文化新聞が収録されており(大変ありがたいシステムなのですが、欠号が少なからずあるのがやや残念です)、読んでいくと怪異や幽霊などの記事がときどき掲載されています。実際の体験談が記録されたのだろうと思わせる生々しい内容もあれば、夏の納涼を目的とした創作(であろうと思われる)記事があったり、オチが付いていない虚実不明な話もあります。
そこでいくつかの記事について自分なりに説明を付けて紹介してみようと考えたのですが、いずれも遠い数十年前の景色が背景にあり、郷土史的な要素と無関係ではなく、ひとつの事を調べると芋づる式に次の関心事が出てくるようなところがあります。壁に突き当たる所もあったりして、このままではいつまでも終わらない気がしてきたので、可能なら後で補うこととして、ひとまず紹介してみます。
(話題はあっちへこっちへ飛びます。)
地元の俳人である塚越夕草花(童心亭散人としても知られる人物)を語り手として掲載された、倉掛峠に伝わる戦前・戦後の怪異を紹介します。その中には夕草花本人の実体験も含まれています。これらの怪異は、当時は狐の仕業と理解されていたようです。
怪異が続く「お化け畑」は、かつて奈良時代の人物である矢田部黒麿の塚と語られていた時期がありました。この伝承について考察します。
踏切や町の周縁に現れた怪異について紹介します。またこれらの記事を執筆した水村転蓬氏にも焦点を当てます。
昭和53年に掲載された「鹿山峠の幽霊」は、後に「宮沢湖の口裂け女」として語り伝えられることになりました。この話の発端は、水村転蓬氏が昭和31年に遭遇した体験にまで遡ります。
昭和41年に掲載された、正丸峠の「怪談」について紹介します。後にさまざまな出来事が起き、広く語られるようになった正丸峠ですが、その最初期はこんなものでした。
昭和40年代から50年代にかけて掲載された「怪談」をまとめています。こんな記事も多く掲載されていたのです。
昭和56年に加治地区で起きたお化け騒動をきっかけとして、飯能戦争の戦死者の記録を探っていきます。 中山新太郎・山田鉄太郎や津志常蔵ら、あるいは名の知れない兵など、旧幕府方・新政府方を問わず悼みつつ、「飯能戦争全国戦死者供養塔」のある東神森稲荷を訪れます。