文化新聞に掲載された怪奇事件のなかで、もっとも問題なのは「宮沢湖の口裂け女」だろう。これは昭和53年(1978年)7月2日に掲載された「鹿山峠に美人幽霊!?目撃者二人が入院!?」という記事が発端となっており、記事中には“口裂け女”とは一言も書かれていないのだが、「真っ赤な口が耳のあたりまで裂け」という姿が、後に口裂け女の先駆的存在として評価されたものである。
先に私見を書くと、まず怪異とは関係の無い個人的体験があり、それをベースにした創作怪談が作られ、さらにそれを別の記者が転用を重ねて生まれたのが、問題となった記事であると見ている。
まず問題の記事を引用してみる。
昭和53年(1978年)7月2日 鹿山峠に美人幽霊!?目撃者二人が入院!?
最近、宮沢湖周辺の飯能~寄居線県道に、ゾッとするような美人お化けが出るという話が、人魂のように巷間に飛びまわっている。
この美人お化けに遭遇したのは、三人連れの青年と、タクシー運転手の二通りある。そして“被害者”の二人が恐怖のあまり精神に異常を来たし、病院入りしたというから、単なる噂話にしても真に迫ったコワイ話と、気の弱い人は、夜間は鹿山峠を車でも走れないと青くなっている。
さて、こういうハナシは、徹底的な調査、あくなき追跡取材をすると、幽霊の正体見たり枯尾花、最後には結局何んにもなくなってしまって、それこそ三行記事にもならなくなる。それでは、夢もロマンも怪奇もへったくれで、芸のない話なので、本紙では巷間伝わる噂さ話を、そのまま率直に載せてみることにした。
〔消えた美人お化け〕
つい最近の夜十時ころ、折からAタクシーの運転手Bさんは空車の字を明りに浮き立たせて飯能~寄居線県道を走っていた─。梅雨明け間際の雨が、思い出したように、黒いつぶてとなって、Bさんの車に音を立てて当る。
「こんな日は、欲得忘れて早く家に帰ってのんびりしたい」─Bさんはそうつぶやいて、雨に煙る前方を注視すると、一人の若い女が、この雨の中、傘もささずにびしょぬれになって立っており、Bさんの車に向かって手を振っているのが目に入った。Bさんはあわててブレーキを踏んだ。
急いで自動ドアを開けると、若い女はくずれこむようにして後部の客席に坐った。若い女が乗った時点は、鹿山峠の宮沢湖入口駐車場付近の県道上だ。(これはあとで気付いたことだが同県道の近くには墓地がある)
若い女は、「日高町まで行ってください」と、消え入るような声でBさんに頼んだ。
車は、あっという間に、日高町の高麗川駅付近まで来た。
Bさんは、運転席から振り返った。「お客さん、この辺で…」Bさんの言葉は最後まで続かなかった。女の姿は後部の客席から、煙のように消えていた。
その夜からBさんは「女のお化けが…、女のお化けが…」とウワ言を言い続け、遂には入院するという騒ぎとなった。
〔美女の口が耳までけた〕
これも、つい最近の夜の話。
飯能市内のABCの三青年がA君運転するマイカーに乗って宮沢湖方面に、夕涼みがてらのガールハントに出かけた。
車は快適に走って、前記の運転手Bさんが消えた美人お化けを乗せた墓地付近の県道にさしかかった。
そこでA青年の運転する車のライトが、一人の若い女性の姿を浮き立たせた。
「ハクイスケ(美人)だ。車に誘って一発お世話になんべえョ」などと、三人の青年がこの美人をドライブに誘ったとしても、この場合非はなかろう。それほど男心をそそる、すこぶる付きの美人であった。
美人は、三人の青年に誘われるまま、微笑返しをしながら車に乗ってきた。一人の女と三人の青年が、恋を語るにふさわしい淋しい山道に、車はすべるように入っていった。
「キ、君…。ナ、名前は何んて言うの...」この際、名前なんか聞いたって、どうってことはないんだが何かしゃべらなくては、口の中がカラカラに乾き切ってしまうものだから、一人の青年が、しわがれ声でそう女に尋ねた。
すると女は、いきなりニャッと笑ったかと思うと、見る見るうちに、その真っ赤な口が耳のあたりまで裂けて、生臭い息を青年たちにフーッと吹きかけたからたまらない。三人の青年は思わず『キャーッ』と叫び、そのうちの二人は車から転げ落ちるようにして、後も見ずに一目散に逃げ去った。
災難なのは残りの一人。この青年は席にいたものだからハンドルが邪魔になって、思うように逃げられず耳まで裂けた“美女”の顔をたっぷり見たためそのショックは大きく、やはりタクシーのBさん同様、病院送りとなったというから気の毒な話だ。
以上、二題が宮沢湖周辺県道上に起きた“お化け噂さ話”だが、これから、お化けを見に行こうという勇気ある読者のため参考までにお化けのきらいなものをニ、三あげてみると、何んと言っても、お化けは人間の悲鳴を一番きらう。だから、お化けの前では絶対に悲鳴をあげてはいけない。お化けは、もう二と出てやるもんかなんて考えるかも知れない。怪鳥のような奇声をあげる故ブルース・リーなんかは、相当お化けに恐怖を与えたはずだ。
あと、お化けのきらうものといえば強い光で、お化けはこれも非常にいやがるのだ。お化けの記念写真でもとろうと思っても、絶対にフラッシュなんかたいてはいけない。
それではお化けとSEXはできるかというと、昔から物語や伝説では、妖怪やお化けと交わったという話はいくらでもある。牡丹灯籠の新三郎は、彼に恋こがれて死んだというお露の亡霊とSEXしたということだけれども、彼はそのためにやせ衰えて、とうとう死んでしまった。これは代表的な話である。
こういうことは、結局のところ、お化けに精力を吸い取られてしまって、廃人になってしまうのがおちだから、いくら絶世の美女お化けでも、お化けとはゆめゆめSEXをすべきではないだろう。(平野威馬雄著「お化けの本」参考) 引用元:文化新聞昭和53年07月02週
一つ目の話はタクシーの乗客が消えたというよくある話で、文化新聞に限っても先行して2例ある。昭和34年6月8日の「日影附近で若いきれいな女の人を乗せて原市場附近に来た時にふと後を見ると件の女が乗つていないのに気がついた」という話と、昭和47年12月3日の「最近畑のトンネルあたりに若い女の幽霊が出るって話だから。見たモンが多勢居るんだ。中にはその女の幽霊をそこから乗せて十日も寝込んでしまったタクシーの運チャンも居るんだ」という話である。この昭和47年の話は、同じ主旨の内容が一年前(昭和46年)にも掲載されているが、そちらにはタクシー云々の話はない。つまり昭和47年のタクシー話はあとから付け加えられた創作と思われ、オチが似ている上に引用した「Aタクシーの運転手Bさん」の話も同様ではないかと思われる(文化新聞は怪談の再利用をよく行う)。
問題は二つ目の話で、こちらが元祖口裂け女の話とされているのだが、ここに出てくる怪異は
<文庫版(広済堂文庫,1991)より>
そもそもこの記事は「こういうハナシは調査・取材をすると最後には何んにもなくなってしまう」などとおかしな前置きで始まっていて、最後は「お化けとSEXできるか」などという話題で閉じている。どうも事件を真面目に報道するといった感じの文章ではない。病院送りになったという話も紋切型で本当か疑わしい。文化新聞では、毎年必ずではないが、夏の時期に怪談記事を載せる傾向があり、虚実怪しいものも少なくないのだが、本記事もそれを踏襲したものではと思われる。
そしてどうもフェイクらしいということが、約4週間後の7月27日の続報からうかがえる。
昭和53年(1978年)7月27日 幽霊が逮捕された!?鹿山峠にデマ乱れ飛ぶ
宮沢湖の幽霊が警察に捕まった!というニュースが乱れ飛んでいる。
死者が成仏し得ないで、この世に姿を現わしたものを、人は幽霊と呼ぶが、だいたい、つかみどころのない幽霊が、生身の人間に捕まるなんてこと自体、ナンセンス極まるが、いや、それこそ考えようによっては怖い話だが、今巷間流れている“幽霊逮捕”説は大体次のようなものである。
①整形手術に失敗し、酷い顔になった若い女性が、どうせ昼までは男にもてない、せめて夜陰にまぎれてのボーイハントを試みた挙句の“お化け騒動”。
たまたま、パトロール中の私服刑事に声をかけ、世間を騒がす不届き者とキツーイお灸をすえられた。
②少々オツムの弱い男、夜になると、顔にお白粉べったり。口が耳まで裂けたように口紅を真一文字に塗りつけ、頭には女性用のカツラを着用して、宮沢湖周辺の路上に、陰にこもって物凄く立つ。雨でも降れば、なお演出効果は満点。うっかり彼女?に声をかけたたいていの男は、そのオカルト的メーキャップの顔を見たトタン、腰を抜かすか、気絶してしまい、恐怖のあまり病院行きとなる。しかし、わが誇り高き飯能警察の猛者刑事にはさすがのニセ幽霊の“神通力”もきかなかった。
③某団地の若い主婦、旦那が夜の商売(と言っても泥棒ではない)なので、どうしても夜になると一人ヒマをもてあます。 この主婦、根っからの男好きで一晩たりとも男なしではいられない。そこで、夜ともなると、フラフラ団地を抜け出して鹿山峠カイワイで“男狩り”に精を出す。しかしこの主婦、人間が三分、化け物が七分の“人三化七”といった御面相で、どうひいき目にみても、オンナというより男の命をけずるカンナである。それにしても、お化けに感違いされたんじゃ、この主婦ホントに浮ばれもしないが、捕えた刑事サンも、生きた心地がしなかったのではないか。
以上のように諸説紛々だが、こうなると“化け物”が三人捕まったことになるが、その真偽のほどを、警察に打診してみたところ、■■■■飯能署次長は、「幽霊を警察が逮捕したって?すごい噂が飛んでいるね。お化けなんか逮捕しませんよ。ただし、宮沢湖周辺で、幽霊見物にきたという、酔っ払い運転や無免許運転、それにスピード違反の、お化けより恐しい“交通三悪”の連中は、幾人も捕まえたのは事実─」と、苦笑まじりに話していた。
やはり、幽霊逮捕説は、この■■次長の言により、雲散霧煙の如く消えてしまったが“現場”付近で、悪質な交通違反が多数捕まったことは、幽霊の功徳と言うべきか─。 引用元:文化新聞昭和53年07月05週
この記事では「宮沢湖の幽霊が警察に捕まった!というニュースが乱れ飛んでいる」とし、「巷間流れている“幽霊逮捕”説」として3つの話を挙げている。
しかしこの「真っ赤な口が耳のあたりまで裂ける女」は、この十年前にも文化新聞に登場しているのである。
昭和43年(1968年)7月20日 「飯能こぼれ話」
きょうから趣向を変えて、一週間にわたり、怪奇シリーズを記してみよう。もちろん、実際に在った話で、記者の信頼すベき人々から直接聞いたノン、フィクションである。この恐るべき怪奇談、信じようと信じまいと、それは読者の自由である。
[第一話]
あれは、今から十年前の事でした。ちょうど今頃のように梅雨のじめじめと降り続いた、いやな季節でした。その日は商用で日高町方面にオートバイで出かけ、その帰り知人宅に寄り、久しぶりに話がはずんですっかり遅くなったという訳です。時計を見たら、午前二時、知人が泊まって行けというのを無理に振り切って私はオートバイにまたがりました。あたりはもちろん真の闇です。オートバイの淡いライトの光が、小心者の私を力づけているだけです。やがて、私を乗せたオートバイは、峠道の上あたりに来ました。深夜、それも人家のない山道を、たった一人で通る気味の悪さは、いまこうして明るい太陽の下で話しては、皆さんには判っていただけないと思います。私は、オートバイの照らすライトに目をすえきって必死にハンドルを握りしめ、一刻も早く飯能の自宅に着きたいという願いから、多分私の顔は半分泣いているような具合でしたろう。
その時です、前方の道の中央に、フワフワと白い影が突然現われましたのが…。私は体中の血がいっぺんに流れ出てしまったように、ゾーツという悪感に襲われ、歯の根も合わずに、ガタガタと全身がふるえてしまいました。それでも今更引きかえす訳にもいかず、そのままオートバイを走らせました。白い影に近付いたら、それは赤ん坊を背負った三十二、三才の女でした。雨の中をカサもささずに、道の真ん中に立っているのですから、私もそのまま通り過ぎることが出来ずに、オートバイを停め「もしもし、こんな時間にどうしたんです」と女に声をかけますと、女は「飯能の街まで行きたいのですが、雨も降り道が暗くて困っています」と、やっと聞きとれるぐらいの低い力の無い声で答えますので、私も気の毒に思い、オートバイのうしろに女を乗せて、飯能まで連れて行ってやることにしました
ハンドルを握る私も、そして女もそれっきり無言です。赤ん坊は眠りこくっているのか泣き声一つしません。オートバイを走らせながら、私は奇怪なことに気付きました。それは女を乗せてから三十分も経っているというのに、相変らず山の中を走っているのです。普通なら五分か十分も経てば、とっくに飯能の町に着いている筈です。女を乗せてスピードを出していないと言えばそうですが、それにしても変です。まあ、それでも一時間近くかかって、やっとの思いで峠道を抜け出し、中山宿あたりまで来ることが出来ました
少々、女が気味悪くなって来た私は「もうここまでくれば女の足でも大丈夫だろう」と、オートバイを止めて女に言いました。すると、女はどうも有難うございましたと、低い声で礼を言ったかと思うと、ニヤリと笑ったのです。その顔がすごい黄色味を帯びた眼はつり上がり笑った口が見る見るうちに耳のあたりまで真ツ赤に裂けたのです。私はギヤーツと悲鳴をあげオートバイからころげ落ちてしまったのです。その瞬間、女の姿はパッと消えたのです。いえ決してウソや作り話でもありません。私は今でもその時の真ツ赤な口が耳まで裂けた女のものすごい顔が忘れられません。その時オートバイからころげ落ち気を失なっていた私は、それからしばらく経って通りかかった新聞配達の男の人に救い出されたのです。 引用元:文化新聞 昭和36年07月04週
この記事の掲載については夏に怪談記事を載せようという以上の意図はないと思われる。話が長いのでまとめると、以下のようになるだろうか。
昭和41年(1966年)8月21日 信じようと信じまいと~幽霊をオートバイに乗せた男の話~
「カーブミラーの径」の話はあんまりゾッとしたハナシじゃなかった、もっと物すごいヤツを書いてくれとの激励?を各所で頂戴したので、折から残暑厳しき候でもあり、ルームクーラー代にトットキの怪談をお知らせしよう。
この話は○○町の(特に名を秘す)から聞いた体験談でこれを聞き終った時には、さすがの記者も、思わず背筋に冷水を浴びせられた如くに、ゾーツとした次第である。以下文中私とあるは某氏の事である。
◇ ◇
「年月日は、この際伏せておきましょう。ただ最近の話ではありません。
今御紹介の通りに私は○○町に住んでいる者でございます。
そう、あの時は初秋のころでしたが、日中は最近の陽気みたいにムシ風呂のような暑さで、ホトホト閉口した記憶がございます。
その日は、私の仕事の都合で、午前二時ごろ起きて〇〇市の取引先に出かける事になったのです。
私の所では自動車はなく、オートバイを走らせて取引先に向う事にしました。もち論ひと山トウゲを越してです。
深夜の山中に女の姿が…
真夜中ころからふり始めたらしく、星も月もなく、あたりはスミを流したように真っ暗です。私も家を出たトタンに、何んだかイヤな予感がして、よつぽど夜が明けてから出かけようかと思いましたが、大事な取引先の用でもあり、勇をコしてオートバイのエンジンをかけた訳なんです。
午前二時ころなんかに、犬の子一匹ウロツイては居りません。起きているのは、真っ暗なトウゲ道をオートバイで走っている私だけです。静かです。シーンと死んだ様な静けさです。オートバイのエンジンの音だが、すっかり心細くなった私の救いでした。
その時です。前方にポーツと「白い物」がフワフワと見えましたのが…。場所は丁度トウゲ道の頂きあたりです
正直な話、私は思わず歯をガチガチとふるわせてしまいました然し、ここまで来た以上は引返しても、向うに行っても同じです。
私はありとあらゆる神仏の名を心の中で呼びながらその白い影を目指してオートバイを走らせました。そばに近付いてみますと、白い影は三十四、五才の婦人の立っている姿でした。その婦人は赤ん坊を背負っていました。
あとで考えてみれば真夜中にそれも山の中のトウゲ道に女が居るという事自体が奇怪な話でしたが、その時はそこまで気が付かなかったのです。
赤ん坊連れの婦人が、トウゲ道で困惑しているのではないかと思った私はオートバイを停めてみました。
するとその婦人は、「すみませんが〇〇までオートバイのうしろに乗せてくれませんか…」とさも疲れ果てた表情で私に頼んだのです。
私もこれから赤ん坊を背負った女の足で○○まで歩くのは大変だろうと、乗せてやる心算でオートバイを停めたのですから、否応もありません。
別にその婦人がこの辺にはマレな美しい女性だったからといって変な助平心で親切にした訳ではありません、これは念の為に言うのですけれど…
いくら女子供とはいえ、二人を乗せるとかなり重たいものでした。それに雨にぬれたのか婦人の着物はグッショリとまるで水をかぶったようでしたので、意外な重量です。それでもオートバイは快適に走り出しました。前にも申し上げたように、あたりは真っ暗、わずかにオートバイのライトの光だけが頼りですので、私は前方を注視するのが精一杯ですので、うしろの婦人に声をかける事もしませんでした。
もちろん、婦人も一言も口を聞きません。不思議な事に、背中の赤ん坊も「死んだように眠っている」のか、あのスースーと可愛いイビキさえ立てないのです。トウゲを降り、宿並みまで来た時には何にか私はホッとしたのです。見る見る内に口が耳まで裂ける
それからしばらくオートバイを走らせ、私の取引先の家の近くでオートバイを停めて「もうこの辺でよろしいでしょうか。ここから市街までホンのわずかですから…」と、うしろの婦人に声をかけたのです。すると今までうつむいて居た婦人は私の声で顔を上げたのです。
私はギヤーツと自分ながら驚ろくほどの悲鳴を思わず上げて頭髪が一本残らず逆立ったのを覚えました
私を見たその人の美しい顔がまるで映画の一シーンのように急変して、よく講談などの怪談などに出てくる化けねこみたいに口が耳のあたりまで真っ赤に裂けそしてニヤリと笑うと、スーツと姿が消えてしまったのです。私の悲鳴を聞きつけ、取引先の人たちがかけつけてくるまで私はその場にアホウみたいに目を一杯に開らき突っ立ったままでした
取引先の人たちは、私のたった今経けんした、あの世にも恐ろしい出来事を信じてはくれなかったのです
中には「寝ぼけて夢うつつでオートバイを走らせてきたんでしよう。それは夢ですよ、それともキツネかタヌキに化かされたのかな」と笑いとばす人も居ましたが、私は確かに女と赤ん坊をトウゲ道からオートバイに乗せてきたのです。そしてあの恐ろしい顔で消えていった女の顔を見たのです。
皆さん、この怪奇な話を私の「作り話」だとお思いになるのも結構ですあなたが信じようと、信じまいと、私は未だにあの女の恐しい顔が忘れる事が出来ません…」
引用元:文化新聞 昭和36年07月04週
冒頭の「カーブミラーの径」とは、正丸峠に向かう道にあるカーブミラーに少女の顔が映っていたというだけの創作怪談で、これが不評だったことを言っている。
「信じようと信じまいと」という言い回しがどちらにもあり、同じ記者によるものであることもうかがえる。2年後の1968年の記事よりも詳細で、以下の細かい違いはあるが、1968年の記事はこれの焼き直しであることがわかる。
この話にも下地があり、5年前の昭和36年(1961年)に掲載されている。こちらはより詳細な内容になっている。長文だが引用していく。
昭和36年(1961年)7月15日 怪奇夏の夜話 怪談鹿山峠 みるみる内に美女が老婆に
オバケが冬出るという例は少ない。Aさんが語るカイ談鹿山峠も丁度一年前つまり去年の七月である。Aさんは日高の住人で、時々朝早く飯能へ品物を取りに行く商売をしていた。そのAさんが経験したカイ談は次のようなものであるが、当のAさんにくわしく語って貰うことにした。(以下Aさんの話)
「そうです。丁度去年の今ごろの事でした。私は三時ごろ家を出ればいいわけですが何となく早く目が覚めてしまつたのでその朝はいつもより一時間早くでかけました。小雨がポツポツふつて鹿山峠にかかるのはあんまり気持ちのいいものではありませんでした。
いくら夏の夜が早く明けるといつても未だ二時では真暗ですし、何回となく通つている峠ですが今まで数回ウツタマゲタことがありますので気持ちよいと思って通った事は一度もありません。
もつともそうまでタマゲタというのは殆んど後で考えれば笑い話なのですが、この事もついに話して見ましょう。
或朝(といつても私の場合は朝といつても暗いのですが)いつもの通りオートバイで峠の頂上(切通し)に向つて行くと大きな火の玉が二ツぽつかりと前方にあらわれました。
私は少し気味悪く思いましたがいくら小心者といつてもそこはやはり男なのでかまわず前進しました。すると突然目の前に見上げるような大男が大手をひろげて立つているではありませんか。私はウツタマゲてしまいました。
すると「ハロー、ハロー」と大男が言うのでああこれはアメリカ人だなと思いましたからいくらか安心しましたが、それにしても人気のないまして暗い峠道で外人に大手をひろげて行く手に立ちふさがられては決していい気持ちではありません。
私は運を天にまかして車を停めました。するとこの大男は「コツチへ来い」と手招きをするのです。尤も日本語でそう言つたわけではなく、手で招くわけです。
私はますます気味悪く思いましたがピストルでも出されては困ると考え、大男の後について行きました。
すると、約二十米ぐら行つた所に自動車があつたのですが、此の時はじめてあかい火の玉に見えたの自動車のバツクライトが私のオートバイのライトで余計に大きく反射したものであるということに気づきました。
結局此のアメリカ人の自動車がパンクしてしまつて動けず此の大男は誰か通るのを待つていたわけですが、何でも何処かの自動車屋へ連らくして来てくれるようにしてくれというのです。
勿論私には英語はよく解りませんでしたが、手と足の万国共通動作で知つたのです。
宙に浮く白い物
[四字不明]やはりマツクラなばん前方から白い物が空中に浮いてふらりふらりと私の方へ近ずいて来るのでした。
此の[二字不明]冬でしたが、お化が寒中出るのはヘンだなと思うひまもありませんでしたので私はすつかりキモをつぶしそうになつてしまいました。
私は此の時オートバイを停めて毛穴をふくらませてしまいました。
白い物体はだんだんと近ずき私とすれ違いそうになりましたの私はこわいもの見たさにひよいと見ると六十ぐらいの老婆で足もちやんとあるではありませんか。それにしても余り人さわがせな老婆だと思つてわけを聞いて見ると、此の老婆は日高町の人で信興宗教の信者でした。
前日飯能に行つて泊つたが、家の仕事で夜が明けてからでは間に合わない要件を思い出し暗いうちに帰る途中という事でしたが、夜道が恐ろしいため南無妙法蓮華キヨウというお題目をとなえながら来たわけで、着物は真黒でしたが手袋だけが真白のたえ[一字不明]の前で合わせたその白い手袋だけが浮いて見えたわけです。
此のような事はかい談でも何でもありませんが時々こんな事でヒヤヒヤしている私にとつては次の出来事は寿命をちぢめるような思いでした。
死人が棒立ちに
さてその話は最初書いたように雨のふる夏の二時、昔流にいえばお化の出やすいウシみつ時という時間です。
いつものように私が上鹿山の部落外れまでかかつたものと思つて下さい。
あそこは八高線の事故の時大勢の死人を焼いたという場所があり、ふだんでもいい気持のする所ではありません。
何でも死人を焼いていた時、突然その死人が棒立ちとなつて地元の人をニラミつけたのでみんなが逃げ出した事があるという話を聞いてからよけい不気味に思つてしまいました。
尤も硬直していた死体が高温の作用で動くという事はさして不思議ではありませんが、その形相を想像したらやはりいい気持ではありません。
とにかく私が丁度そんな姿を想像した矢先の出来事でオートバイのライトに照らされて前方に突然真っ白い着物を着た女が後ろ髪をながくたらしてトボトボ歩いていくのを発見した時は、全体の血が一ぺんに凍つてしまうのではないかと思うほどゾーッとしましまた。
子供を背負った美女
私が女の姿を発見したのは六、八十米のきよりでしたが此の時は余りの恐ろしさにブレーキをかける事も忘れてしまつてアツアツ[原文ママ]という間に女の所まで来てしまいました。勿論生きた心はありません。すれ違うと同時に本能的に速度を早めていました。
やがて私は二百米ほど行つてからハテサテ不思議な事である。世の中に果してお化けというものが存在するであろうか。
また、若しキツネとかタヌキの仕業であるにしても、これから度々通らなければならない峠、何としても正体をつかむ必要がある……と思つたのはやはり私に男の血が流れていたためでしょう。
そこで私はオートバイを停め、山の中にかくれて女の来るのを待っていました。しかし、時間的にみて、当然来るはずなので十分ばかり待っても姿は見えないのです。私はまたゾッとしたのです。
しかし何としても今後の事もあるため、あと五分ばかり待ってみようと息をころしていました。すると間もなく白い女がかすかに近ずいて来るのです。
私はいきなりカイ中電気を女の方向にさつと照らしました。念のために申しますが私は暗い所で車が故障するのに備えていつもカイ中電気を持っていたのです。
女は暗ヤミに立ち止まって動きませんでした。私も動きませんでした。何の音もなく、三分ぐらいそのまま時間が流れました。
そこで私は断然決意して女のそばに近ずきました。
するとこれは一体どうしたわけでしょう。お化と思われた女は年の頃なら二十四、五ステーツとした新しいハイヒールをはいた絶世の美人ではありませんか。服もよくみると白い色には違いありませんが、パンとした服装で頭の毛もながーく後にたらしたといっても実はロングとか何とかいつたあのヘアースタイルなのです。
若しこの女が一人だつたらどんな人でも世の中にこれほど美人があるとは考えられず、事によつたら、それこそキツネかタヌキのへん身だと思つて気を失つたに違いありません。そうです。此の美人は二十歳[原文ママ]ぐらいの女の子供を背負つていました。そして両手にかなり大きな風呂敷包みを持つていた事が多少此の世の人であるらしいという安心感を私に抱かせたのです。そこで私は女に向かつて 「どこまで行くのですか」と声をかけました。女は答えませんでした。
「此の辺は物騒で数日前もアメリカ兵が女に暴行したそうです」とまた私が言いました。これは本当の事で決してオドカシではなかつたのです。
「私の後に乗つて行きなさい」とさらに言つたのですが、女はやはり答えませんでした。
そこで私はあの天の羽衣の漁夫のように此の美人の風呂敷包みを無理に取つてしまつたので女は私に従つてオートバイの所まで来ました。
その時の私の頭の中には「此んな美人と夜中に峠を越えられるとは運がいい男だ」と思うほどの落ち着きがわいていました。
そうです。誰だつてそう思うでしょう。気の早い男なら何とかかんとか山の中で女と共に少しでもよけいに時間を費やしたいと考えるに違いありません。幸い私は昔か不自然に(テクニツク)で女性と接近する事をケイベツしていましたので、ヘンな気持は起りませんでしたが、第一時間までに行かなければならない仕事を持つていたのです。
女は私の言うままにオートバイの後に乗りました。
石地蔵の様に重い女
私は勢いよくエンジンをかけました。するとどうでしょう。私はまたその重さにゾツとしました。私の車は九〇CCでかなり古いし雨の坂道だつたので無理もないとは思いましたが、その時の重さといつたらありません。まるで石の地蔵様が化けたのではあるまいか、後でながーいベロを出しているのではないかと思うと背すじが凍つてしまうほどの思いでした。
オートバイはクギづけにされたようで少しも前に出ません。私は女をすてるようにして一目散に走つてしまいましたが、丁度宮沢湖の入口から少し上がつて比較的平らな所で今一度正体を見とどけようと思いました。
尤もその時は初めて女の姿を見た時より幾分落ち着いていました。今度は計算通りの時間で女が上がつて来ました。
私はそこで再び女に乗つてゆくように話しかけたのでした。此の時は素直にまたがりました。
平らな場所だつたためかどうやらオートバイは乗り出せましたが、重いことは確かに恐ろしいほど重かつたのです。
しかし私は既に相手がお化というより、六、七分は人間だと思うようになつていましたので、いかにしがない商売をしているとはいえ、やはり人間として当然の親切をしているとの満足感がこみあげ多少ハンドルはふらふらしましたが無事に中山の踏切り近くまで来ました。
笑つた顔が老婆に変る
時間はたしか三時近かつたと思います。さて此の話の恐ろしかつたというのは実は此の[一字不明]後の[一字不明]なのです。
「此処が飯能です。気を付けて行つて下さい」と私が言いながら女を下しました。その時女ははじめて私に向つて、
「君の名は?……」といいました。いや「あなたはどちらの人ですか」と言うのです。私は別に恩に着せたくもありませんのでただ「日高のもんです」と言いました。女はその時急に涙を流しましたが、さてどうです。私はその時女の顔を見たトタンにウーツと気絶してしまいそうになりました。
皆さん、世の中に一体こんな事があつていいものでしょうか。
私を見て、涙顔で少し笑つたその美人の顔がたちまちおそろしい、そしてチョウチンのようなシワをよせた老婆の顔にかわつてしまつたではありませんか。同時に姿がスウーツと消えてしまつたのです。そんな馬鹿な事があるかと思うでしょうかそれは本当の事ですし、第一ウソではこんな事は話せません。
私はその後まもなく夜中に峠を越える商売はやめてしまいました。若い頃はエンジニヤとして、又そうなるための物理、化学の教育を少しは身につけている私ですが、あの夜の事は不思議でなりません。(M) 引用元:文化新聞 昭和36年07月03週
昭和36年当時の鹿山峠=県道飯能寄居線は未舗装で、道路灯もろくに無く、午前二時ごろは闇の中を進むようであったのではないかと思われる。今の宮沢湖の入り口付近も造成されていない切通しのような道で、今よりずっと峠らしさがあった。
昭和40年頃の地図。ここでは3つの話が語られている。
昭和55年(1980年)8月15日 あの時その時 鹿山峠で会った女 水村転ぽう
いくらいい女だからといっても、あの時私はそんな事は出来なかった。これを読む男のあなただったらどうする?。誰も見ていない夜中の峠道で、ふるいつきたくなるような美人に出くわしたら……である。
あれは昭和三十一年秋の小雨のぱらつく午前二時半頃のことであった。その時私は新聞配達をしており、いつものように飯能の専売店へ荷物を取りに行くため、バイクで鹿山峠にさしかかった。
現在では人家も建てられて淋しくないが、そのころは上鹿山部落を出るとしばらくは無人の峠だった。そして左側に例の八高線事故で死んだ人を焼いた山があり、なんとなくゾクゾクする場所であった。丁度そこまで来たトタン、頭の毛をダラッとたらして白いものをまとった人影がライトの前に浮かんだ。で、アッと言う間もなく近づいてしまったのだが、相手の顔など見るどころではない。突然背中に氷を負わされたような気持で通り越した。しかしすぐに考えた。今日だけならいいが商売がら今後もずーっとここを通らなければならない。さいわい日曜日だから多少帰りが遅くなったとしても、アルバイトの学生達は待っていてくれるだろう。なんとしてもこの世にユウレイというものがいるものかどうか確めないことには……と思ったのである。
そこでバイクを道路わきの山の中へ入れ、かくれて待っていた。人間ならば歩いて三分位すれば来るはずだし、もし来なければユウレイかも知れないと考えた。ところが三分たっても来ない。にわかにまたゾッとしたが、よし、あと二分待ってみようか、と息をころしていた。すると、しずーかに白いものが近づいて来た。私はだまったままその方向に懐中電灯をパッと向けた。光線は相手の足を照し出した。私はいくらか安心した。どうやら子供を背負った女だと判ったが、ピタと止まったまま動かない。マ、それはそうだろう。いきなり山の中から電灯を向けられたのだから.....。
一分ぐらい両方のチンモクが続いた。私が近づくと女はだまったまま数歩退いた。
「どこまで行くんですか」と問いかけたが答えない。「どこから来たんですか」と聞いたが、やはり黙ったままだ。よく見ると年のころ二十五、六、はなしではなくいーい女。両手に風呂敷包みを持っていた。
「私は日高町の新聞屋で、毎朝ここを通ってる者です。心配いりません。バイクの後に乗りなさい」と言ったのだが、女はやはり黙ったまま後にさがった。そこで私は半ばごういんに片方の包みを取ってしまった。どうして私はあの時、あんなにしてまで乗せようとしたのだか、いま考えてもよくわからない。こんないい女を誰かのエジキにさせてはならない、という気持が心の一角にあったのかも知れない。そのころ峠で強カン事件があったとか聞いていたし、数日前には私もアメリカ兵に行く手を立ちふさがれたことを思い出していた。もっともこのアメリカ兵は悪人ではなく、車が故障したのでどこか修理する所を知っていないか、という事だった。
さて、私に荷物を取られたせいか、女はバイクの荷台に乗った。ところがいくらエンジンをふかしてもバイクは動かばこそである。
まるで大石を積んだような感じで、又々背中がゾクゾクした。であわてて女をおろし逃げるように発進した。しかし一応坂を上りつめた平らな場所まで来てから、いま一度女を待とうという気になった。この助平野郎と笑わないでほしい。重くてバイクが動かなかったのは、あそこが上り坂だったし、小雨で車輪がぬれているためだと気付いたからである。(あのころのバイクはサンライトとかいうやつで、普通の自転車にエンジンを取り付け、そのエンジンに付いているローラーが自転車のタイヤを回転させる仕組、したがってローラがぬれるとからまわりをした)
今度は女も予想通りの時間に近づいて来た。バイクの動かなかった理由を説明すると、はじめて「すみません」と言いながら荷台に腰をかけた。その時は既に私にマカス、といったふうな態度だった。女は重かった。肉体的にもイイということになろう。もっともあの時はそんなことは考えていたわけではない。
西武線の踏切を越した所で、私は女をおろした。その時「有難うございました」と言う女の顔が見る見るうちにチョウチンのような顔になった。私はまたゾッとした。しかし街灯の光でよくのぞくと、顔にいっぱい涙を流していた。別れるのが惜しいような美人だった。西武線の一番に乗るのだとも言っていたが、再度、日高に戻っただろうか。思い出すたびに、いかに絶好のチャンスだったとはいえ、シないでよかったと考えている。あの女の人も、時々私をきっと感謝しながら思い出しているだろうからである。 (おわり)
引用元:文化新聞 昭和55年08月03週
水村氏の記名性のあるが紙面から消えておよそ15年ほど経った頃に、「あの時その時」と題して4回ほどの連載が掲載された。いずれも過去の「転蓬日感」などの水村氏の記事で言及されていた内容を改稿したもので、この時期に改めて掲載された背景は不明だが、昭和36年の記事の種明かしになっている。水村氏はこのときの経験がよほど印象に残ったらしいが、約四半世紀経ち還暦も間近になってなお「肉体的にもイイ」「シないでよかった」だの「私をきっと感謝しながら思い出しているだろう」だの書いているのは、いかがなものかと思うのだが。
森田豊氏が昭和53年に書いた「緋馬琴 森田豊 お化け談義(3)」の、大五田の“のっぺらぼう”に触れた随筆と同じ記事の中で鹿山峠のお化け(文化新聞掲載)は本当にあった話のようでぐっと以前にも小雨そぼ降る晩や明け方近く歩いている女に出合ってオートバイの後へのせ峠を越したらくだんの女が消えてしまった―などは本当にあった話だという
と記しているが、水村氏の実際の経験をベースにした話だということが「本当にあった話」と伝わったのだろうと思われる。
さて女性は別れ際に泣き顔になり、顔にしわが寄ったのだが、水村氏はこの出来事の5年後に「おそろしい老婆の顔に変わってしまった」とアレンジし、怪談として掲載した。それを後に別の記者が化け猫のような真っ赤な口に変化させた。そして昭和53年の記事に至る。 このいわゆる「口裂け女」に関する記事は、鹿山峠で起きた昭和31年の出来事を起源としている。そして一連の記事は、怪異とは無関係な出来事が怪談として変容していく過程を見て取れる、よいサンプルになっている。
昭和37年(1962年)8月1日 私は見た
ひる間は美くしいハイキングコースのカ山とうげも夜になるとまったく不気味な場所となっている。
そして、極めて限られた人達ではあるが、三時、四時といった夜明に此処を通る者の中に、いわゆる不思議な物の姿を見る人もあり、そのような人達は、これをユウレイだと信じているようである。
ところで、今の世に一体ユウレイとかお化けといったものが実在するだろうか。
街の中でとうげの夜を知らずに眠っている人達は、これを錯覚だといって笑う。
「私は見た」と云う人は臆病者だと一笑されるのをおそれて、余り他人に話さないし、どうせ通る所だからとあきらめ、ひとり念仏を唱えながら越えているのだが聞けば実に不思議な出来事ではある。
その一つAさんの場合を紹介しよう。
Aさんが日高方面から宮沢湖入口にかかったのは午前二時半ごろであった。
オートバイの音を魔除けのつもりで、いつも高らかにエンヂンをふかしているAさんの前に、山ウサギが一匹飛び出した。
そこでAさんはすかさずこれを捕えようとしたが、車から下りるうちに逃げられるより、ふみつぶして取ってやろうと、これを追いかけたのである。
するとウサギは前へ前へと走って行った。
山の中へ入られては逃げられてしまうが道路の通りに逃げるのでしまいにはウサギがくたびれてしまうに違いないとAさんは思った。ウサギが横道に入りそうになるとライトをその方に向るとウサギはまた道の中央を走る。
そして、ついに頂上の切り通しまで来た時、ウサギが突然道路ぎわでうずくまってしまった。Aさんは頭の中で、既にウサギの肉で一杯呑んでいる所を想像していた。
タイヤの一寸先にうずくまっているウサギを見ながら、Aさんはどうせなら、生きたまま捕えたいし、此の分なら完ぜんに、そのまま取れると思って二、三分にらめっこをした後車から下りた。
ただ困った事に、ハンドルをはなしたと同時にエンヂンがきれライトが消えて真暗になってしまった。
Aさんはあわてた。すかさず前のタイヤの前に行ってウサギのいる所をいきなりおさえた。手ごたえがあった。しかし此の時何となくそれが生ぬるい変な感じで体がぞくっとした。
と、どうだろう。そこから片目が小さく一方の眼がばかでかい大入道が立ち上ってAさんを見下しているばかりではないか。Aさんがワッと声を出すと同時に大入道は消えたが、こんな事があってからここ数日Aさんは台不動の方をまわったという。こうした事は一般の人には信じられないし、同じ場所を通ってもみない人もあるわけだが、たしかにみたという者があるのだから不思議である。
これがキツネの後を追って行ったというなら、ありそうな事だがウサギとお化けの関係についはAさん自身不思議がっている。
実際此んな事があるだろうか、此の前にはBさんが午前二時ごろ八高線の事故で死んだ人を焼いたとうげの入口で、子供を背負った不思議な女に出合っており、その時かわいそうだと思ってオートバイの後に乗せたが石の地蔵様のように重くってゾットしたし、中山のふみ切りの所でニヤリと笑って消えてしまったという。
十年も此のとうげを通っているKさんはこれについて次のように言っている。
「何年通っても決して気持のいい事ではない。
何か魔に連われた時には背中に水をかけられたようにゾットとする。
そんな時、私は消えろ!と大声を出すが何でもない時にゾッとするのはぐ近くに魔物がいる時だ。
不思議な事もあったが、見ない人に話しても笑われるだけだからだまっている」
またSさんは山の中で火の王が転がっているのをみた事があるというう。
台の不動様の所を村人が通った時「今晩は」と声をかけてすれ違う人があり、その時あかりで村びとが相手の顔をのぞいたら何と真黒に焼けた死ニンだったのでその後不動様を現在の場所に出して通行ニンを守ってもらう事になったという話も残っているが、お化けの有無はともかくとして以上は夜中にとうげを通るひとの一部の話である。 引用元:文化新聞 昭和37年08月01週
ここで鹿山峠は「不気味な場所」と名指しされているのだが、頂上の切通しに差し掛かった時に「片目が小さく一方の眼がばかでかい大入道が立ち上ってAさんを見下してい」たという。「オートバイで峠の頂上(切通し)に向つて行くと大きな火の玉が二ツぽつかりと前方にあらわれました。(中略)すると突然目の前に見上げるような大男が大手をひろげて立つているではありませんか」とよく似ている。おそらく、別に経験したのであろう野兎の話と、アメリカ人の話をニコイチにして創作したものと考えられる。
また「鹿山峠の女」の怪談が短く言及されているほか、境界に現れるもので紹介した「台の不動様前を通る、真黒に焼けた死人」の怪はここで語られている。
「大入道」のことがあってから、数日間台の滝不動の前を通るよう道を変えたというのは水村氏のことではないか。そして「真黒に焼けた死人」の話も、闇の中を進む水村氏の考えた話かもしれないと思えてくる。
2025.12.27up