文化新聞に掲載されているお化け話には、「信じようと信じまいと、それは読者の勝手である」的な決まり文句を用いる記事が幾つかある。おそらく同一の記者の手によるものと思われる。仮にこの記者を「信じようと信じまいと」氏と呼んでみる。氏のお化け記事の傾向は、総じて大したことは起きていないが、幽霊はだいたい美人ということになっていて、遭遇者はゾーッとしたり、数日間寝込んだりする。読者が記事を見て現地に行ったが何も起きないというクレームも受けたりする。また文章にはあまりよくない意味で昭和のセンスを強く感じる。
初出は昭和41年なので、水村氏が紙面から姿を消した時期に、入れ替わるように紙面に登場してきたとも言える。
紹介する記事の中には決まり文句の無いものもあるが、内容から見て同一の記者と判断した。
初めは以前にも紹介したことのある、正丸峠の話である。
カーブミラーに少女の顔が映っただけという、現代の感覚ではずいぶん素朴な内容だが、薄い内容にずいぶんと勿体を付けた文章だなと思う。掲載の約半月後に、記事を見て現地に赴いたが何も出なかったというクレームがあったことを掲載しているが、反論として「これは街で拾ったドキュメントリーニユースであって」「信じようと信じまいと、それは読者それぞれの勝手だよ」と書いており、事実性が怪しいことを告白している。
街の噂を載せた、という体裁の怪談はこの後も掲載される(例えば、昭和53年の“宮沢湖の口裂け女”の記事)。本記事の内容と併せて考えると、この傾向が見られる記事は作り話と見てよい。
昭和41年(1966年)8月18日
宇宙時代に怪談?
カーブミラーにに少女の顔が
会社や駅などの洗面所の鏡や、寝室の三面鏡などに、あまリパッとしない女の顔が映るというのなら、日常茶飯事なので誰もビックリはしないが、山また山のとうげ道に立っているカーブミラーに、姿はどこにも見えないのに、美しい少女の顔がハツキリと映るとなるとオドロキだなアである。
◎
飯能市内の一部の人たちの問で「誰もいないのにカーブミラーに女の子の顔が映っている」との怪談がささやかれている。「冷静なる判断力」と「勝れたる知的感覚」を持つ記者は直ちに「そんなバカな話はない」と否定しだが、やっぱりそういう話は気になるものだ。そこで早速その一部の人に「怪談」を聞いてみた。
記者「美少女と鏡の怪談は真実なりや?」
一部の人「なりやだが、成田山だか知らねえが、この怪談は本当の事よ。俺が一人で自動車を運転して正丸とうげへ向う道を走っていたとは思いねえ。場所をハツキリ言ってもよいけれどもし皆んなが怖がると何んだから、新聞に書かねえんだら、アンタだけには敏えるが、ほら、あそこからあそこに通り抜けるところに立っているカーブミラー(道路が急カーブしている所に立っている反射鏡)の一寸手前まで来た時の事よ。何んだか空模様がおかしくなって、薄暗くなってきやがり、おまけに生まぐせえ風がフアーツと…。
どうしたい記者さん、気持が悪いのかい?何んだか顔色が悪くなったよ。
こいつは一雨来るかなと俺さまもスピードを出そうと思い、カーブミラーを見たトタンにビツクラしたね。そう年のころなら十七、八才の色あくまで白い美少女の顔が映ってんだよ。カーブミラーというのはアンタ知ってんだろうが、向こう側のカーブした路上を映して、前方から来る自動車の有無を知らせる装置になってんだ。だから俺はテツキリ少女が前の曲り角に立ってるものと思って、急プレーキをかけたんだ、ところがだよ、アンタ!」
記者「ハイツ!ああオドロイタ。あんまりおおきな声をいきなり出さないで下さいよ」
一部の人「居ないんだよ。そこに少女が立ってないんだよ。少女どころかネコの子一匹その辺には居ないんだ。それなのにカープミラーにはチヤントその少女の顔が映ったんだ。と言う事は、ユ、ユーレイだと気付いた瞬間、俺の体の中の血は逆流して、もう何にが何んだか判らなくなって無我夢中で走りまくったんだ。ハーハーハアツ」
記者「何にもそんな所で今になって息を切らさなくたって良いじやないですか。ボカア思うに貴君の目のサツカクですよ。木か葉の影がカープミラーに映ったのが美少女の顔に見えたんですよ。そうです、そうですそれにきまってますよ。そんなバカな話があってたまるもでんすか。貴君の目のサツカクだ、サツカクに間違いない断じて!」
一部の人「記者さんアンタ、バカに力を入れて何度も否定するけど内心はコワインだね。だけど俺の目は両万とも一、五の視力で悪くはない。俺は確しかにこの目で見たんだよ。フントに」
◎
という以上の話を聞いたが、さて賢明なる読者の皆さん果して「正丸トウゲの怪談」を信じるでしようか。
信じようと信じまいと、これは街で拾ったドキュメントリーニユースであって、真夏のエン台バナシには絶好と思うので提供した次第。
マイカー族の皆さん、カーブミラーは必らず見て下さい。
前方から来る車を気をつける為と、もしかすると「美少女」と対面するチヤンスに出合うかも知れません。から……
引用元:文化新聞 昭和41年08月03週
昭和41年(1966年)9月3日
先月の本紙十八日号に「宇チユウ時代に怪談?カーブミラーに少女の顔が」と題して、飯能市内の某さんたちが見たという「正丸トウゲのカーブミラーに、美少女の顔が映つる」という怪談を掲載したところ、俄然読者間に一大センセーションをまき起こしたらしく、月が変った九月一日の正午、本社に次のような電謡がかかってきた。
出なかった正丸峠の怪?
ニ十人が車で押しかけたが…
合憎、担当記者が外出中で、代りに居合せた女子社員がその電話を受けたので読者からの電話の内容はあとになって女子社員から聞いたものだ。
話によると、電話をかけてきた主は、市内双柳の○○工場の従業員でまだ若い男との事。
「文化新聞に正丸トウゲのカーブミラーに美少女の幽霊が出ると書いてあっだので、こないだの夜十時ごろ、仲間を二十人連れて乗用車で見にいったら、美人の幽霊どころか、オバQも現われなかった。
正丸トウゲのカーブミラーを全部見てきたが、全然少女の顔が映んないでガツカリして帰ってぎた。あんな「ウソのお化けの話」は誰が教えたんだい。あんまりデマを書くなよ…」といった内容の電話だったらしい。
右の読者からの電話の件について、たまたま居合せた三人の記者らが一杯のみながら次のような雑談のサカナにしたのを報じておこう。
A「巨人サンケイ戦(巨人もサンケイには弱いなア)のナイターや、豊岡のストリツプを観に行く心算で若い男が二十人も車で、それも内心は怖いんだからシユーチユーか何んかのんでカラ元気を付けて押し寄せたんじゃ、幽霊のほうで怖わがつて引っ込んじやうよ(笑い) それに、「目撃者」の話によればカーブミラーに映つる幽霊は絶世の美少女だどいうから、安達ケ原の鬼婆や四谷怪談のお岩さん(ナムアミダブツ)などと違って その道のベテランじゃないので、若い男の二十人に逆に襲われるのではないかというキョウ怖心にかられたんだよ(笑い)
全く、その「少女」を慰さめてやりたい泣だな」
B「今度行く時は、紅衛兵じやあるまいし集団で押し寄せないで一人か二人でシークレツトで観に行くんだよ。それも、十時ごろだなんて半端な時間じやなくて草木も眠る丑満時(午前零時から二時ごろ)に行かなくっちやあ、そう簡単に花のカンバセを見せてくれないよ。だけど、車を利用する皆んなが美しい彼女の出現を期待してカーブミラ一をアナのあく程、注視してくれれるから、カーブでの衝突事故が起きなくて大変結構な話だな。その内交通安全協会から本紙とその美少女が表影されるのではないか(笑い)」
C「電話を寄越した読者が、あんまリデマを霞くなとウチの女子社員に怒ってたそうだが、そりや聞えませぬ伝兵衛さんだよあの記事は「冷静なる判断力」と「勝れたる知的感覚」の持主と自称した私が書いたんだが、その時だって「そんなバカな話はない」と否定したが、こういう話はエテして読者の喜ぶ材料なので、態々「貴重な紙面」を割いて発表した訳なんだ。それに、この話をしてくれた某さんに「美少女の顔なんていうのは目のサツカクだ。木の葉の影がカーブミラーに映ったのが美少女の顔に見えたんだ」と私は極力否定したんだよ。
もう一度、十八日号の本紙を読めば判るが、未尾にも「信じようと信じまいと、これは街で拾つたドキュメンタリーニユースであって、真夏の縁台バナシには絶好と思うので提供した次第」と断ってある。
信じようと信じまいと、それは読者それぞれの勝手だよ。
こっちは、そこまで面倒見きんないよ、ホントに…」
A「Cさん、何にもそんなに怒る事ないよ。まあ、K大先輩に聞いた事があるけれど、ずっと以前に所沢の山口辺の土蔵に女の幽霊が出るというウワサが飛び、当時毎晩のように黒山の見物人が押し寄せた事があったそうだ。飯能からも自動車で見に行った人が多勢居たそうだ。まるで豊岡のストリツプみたいだ(笑い)。その内、人があんまり押し寄せるんで、ダンゴ屋などの露店も出たというからオドロキですよ。皆んな、その幽霊の「御対面」にはならないで、結局は向い合せの家の電灯の光りの反射という結論に達しウヤムヤになつたらしいが、ダンゴ屋など一番モウケタという話だ案外、この土蔵の幽霊の話は、この露天商あたりが飛ばしたデマじやないかい。(笑い)その内、正丸トウゲにもオデン屋やダンゴ屋が店開きするよ。その時は、三人で一杯やりに行く事にしてきようはこの辺でお開きにしよう」
引用元:文化新聞 昭和41年09月01週
他愛もない怪談の舞台になぜ正丸峠が選ばれたのか、ということについてはあまり深い意味は無く、"知名度のある山奥"という以上の意図は無いかもしれない。
この記事が掲載された昭和41年(1966年)の正丸峠はどういう状況だったかというと、西武秩父線の正丸トンネルの起工は42年7月、開通は昭和44年で、国道299号線の正丸トンネルはさらに後の昭和55年の着工、57年10月の開通なので、この頃はまだ工事も始まっておらず、曲がりくねった峠道があるばかりだった。そのため峠を越える車両はこの長い峠道を越えるしかなく、往来はかなり多かったと思われる。昭和58年(1983年)の1月27日号には、国道299号線の正丸トンネル開通前の車の通行量について記載があり、「トンネル開通前は正丸峠頂上で一日平均千三百台」「トラック類が一日平均約五百台も通過していた」とある。
また2年前の昭和39年には皇太子ご夫妻(現在の上皇上皇后両陛下)が県下視察の折に立ち寄っており(昭和39年11月21日号)、また前年の昭和40年には常陸宮さまがハイキングに来飯されていて(昭和40年6月8日号)、なにかと飯能では話題になっていたのではないかと思われる。
正丸峠は後に怪談の現場として確固たる地位を築くに至っている。
埼玉新聞の1991年(平成3年)の8月14日号と1991年9月9日号に、「正丸峠の妖怪 なぞのウワサを追う」という記事が前後編として掲載されている。この記事では"よつんばい"という妖怪話が走り屋によって関西から伝えられて来た事が書かれている。後のインターネット時代でも"心霊スポット"としては言及されることはあるものの、“よつんばい"という名前を(管見の範囲では)見かけたことは無く、どうやら忘れられてしまったようだ。


2025.3.20up